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板取川沿いの地質、露頭 その3 美濃市片知穴洞右岸のチャート層と甌穴 :美濃市片知穴洞の穴洞橋上流400mほどの右岸露頭(料理旅館の対岸の上流)

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3年前の11月16日「板取川沿いの岩石その1」で紹介した美濃市片知穴洞の右岸露頭で見られるチャート層を再度紹介します。美濃市曽代の国道156号の西に新美濃橋が架かっていますが、その橋を渡り、右折します。その長良川右岸を通る道路が県道81号美濃洞戸線です。北進すると、板取川と長良川の合流部の西で板取川を渡ります。その後、長瀬地区を越したところに板取川に架かる穴洞橋があります。その橋を西に渡り、右折します。道路は穴洞の集落を越えるとやや狭くなりますが、400mほど北進すると、切り通し道があります。近くに車を止め、川へ下ります。板取川右岸に岩石が露出していますが、チャート層です。ここのチャート層は淡灰色~灰色で、層理面に沿って割れていて、岩の表面を構成しています。岩の表面は東南東~南東に20°ほど傾いています。層理面はわかりますが、間に挟まる泥岩層はわかりません。また、チャート層に甌穴があり、川の中まで見ると複数あります。  地質図において、この露頭(×地点)はオレンジ色( Mch )の中にあり、オレンジ色はおもにチャートからなる地層です。周囲は広範囲に灰色( Mmx )が分布し、その中にレンズ状にチャート層(オレンジ色)などが入っています。灰色( Mmx )はメランジュからなる地層です。メランジュは、黒色をした泥岩の中に砂岩やチャートなどの大小さまざまな岩塊が入った地質体です。大きな岩塊としては、露頭全体がチャートであったり、地質図に描かれるほど大きなチャートであったりします。ここのチャート層も、非常に大きなチャートの岩塊の一部です。写真が4種類ありますが、上の写真はチャート層を南からパノラマで撮ったもので、中央付近に写っているのが甌穴です。この甌穴は、長径が3 . 2m、短径が2 . 6mで、深さは堆積物が詰まっていて不明です。中上の写真は、上の写真の中央付近を撮ったものです。中下の写真はチャート層の層理面を北東から撮ったもので、下の写真は川の中の甌穴を西から撮ったものです。スケールとして置いてあるハンマー、折れ尺の長さはそれぞれ約28cm、1mです。中上と中下、下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の●を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。(地質図はHP「ジオランドぎふ」より 岐阜県博物館提供

板取川沿いの地質、露頭 その2 美濃市牧谷小学校南の河原の石2 :美濃市蕨生下屋敷板取川対岸(右岸)の河原

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  板取川は、美濃帯堆積岩類、奥美濃酸性岩類の中を流れ、美濃市の市街地の北で長良川と合流します。そのため、板取川沿いの河原では、美濃帯堆積岩類、奥美濃酸性岩類を構成する岩石が見られます。美濃帯堆積岩類を構成しているのは、砂岩、泥岩、チャート、石灰岩、玄武岩質火山岩類(緑色岩)です。奥美濃酸性岩類を構成しているのは、花崗岩、溶結凝灰岩、凝灰岩、花崗斑岩です。また、美濃帯堆積岩類が奥美濃酸性岩類の高熱によって変成した岩石であるホルンフェルスも見られます。   前回は、美濃市蕨生下屋敷板取川対岸(右岸)の河原で見られる美濃帯堆積岩類を紹介しました。今回は奥美濃酸性岩類(花崗岩(中上の写真)、花崗斑岩(真中の写真)、溶結凝灰岩(中下の写真))とホルンフェルス(下の写真)を簡単に紹介します。前回も書きましたが、石の説明について詳しく知りたい方は、2021年8月9日~9月8日の「河原の石編 その1~20」を見てください。上の写真は、河原を西から撮ったもので、立体視ができるように2枚の写真が並べてあります。写真の下部の●を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。地質図(HP「ジオランドぎふ」より 岐阜県博物館提供)において、×地点が河原の位置です。 〇花崗岩:わかめご飯のおにぎりのように黒い粒と白い粒、うすピンク色の粒が、同じような大きさで入っています。丸っこい形の石が多いです。6枚の写真がありますが、右下の写真は接写です。(中上の写真) 〇花崗斑岩:かどのとれた箱型から楕円形のものが多いです。無色透明~灰色っぽく見える石英、白色の長石、緑っぽい黒色の黒雲母などが、岩石の中に斑点状に入っています。6枚の写真がありますが、右下の写真は接写です。(真中の写真) 〇溶結凝灰岩:灰色っぽいもの、白っぽいもの、紫色っぽいもの、黒っぽいものなどがあります。長さ数cm以下、幅1 cm 以下の緑っぽいレンズ状のものが入っている場合があります。このレンズ状のものは、火砕流に含まれている軽石などが圧縮されてできたものです。6枚の写真がありますが、右下の写真は接写です。(中下の写真) 〇ホルンフェルス:泥岩や砂岩などが高い熱によって変成してできた岩石です。泥岩などが熱変成を受けると、硬くなり、割れ口が角ばっているものもあります。また、黒雲

板取川沿いの地質、露頭 その1 美濃市牧谷小学校南の河原の石 :美濃市蕨生下屋敷板取川対岸(右岸)の河原

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  2020年11月16日~12月27日には、板取川沿いの岩石を24回にわたって紹介しました。その際は、地質図を使って紹介していませんでしたので、今回からは地質図も掲載しながら、板取川沿いの露頭などを紹介したいと思います。そのため、重なって紹介する露頭がありますが、御了承ください。 河原には、その上流の川(支流も含む)の周囲に分布する岩石が削られ、運ばれて、転がっています。そのため、河原の石を見ると、その川の上流にどのような岩石が分布しているかがわかります。美濃市の牧谷小学校の南(蕨生下屋敷の対岸)の板取川右岸に、河原の石が広がっています。夏には、キャンプを行っている方が多くみえる場所です。そこにある石(岩石)を今回と次回で紹介します。今回は、この河原で見られる美濃帯堆積岩類(チャート(中上の写真)、砂岩(真中の写真)、泥岩(中下の写真)、石灰岩(下の写真の左)、緑色岩(下の写真の右))について簡単に紹介します。岩石それぞれの特徴や岩石の見方については、2021年8月9日~9月8日の「河原の石編その1~20」を見てください。 上の写真は、河原を下流に向いて北北西から撮ったもので、立体視ができるように2枚の写真が並べてあります。写真の下部の●を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。地質図(HP「ジオランドぎふ」より 岐阜県博物館提供)において、×地点が河原の位置です。 〇チャート:白色・灰色・黒色とそれらが混ざり合ったものが多いようです。他の石と比べると、かどのある多角形をしているものが多いです。(中上の写真) 〇砂岩:灰色から暗い灰色のものが多く、まるい形のものもありますが、箱型のものもあります。よく見ると砂の粒がわかります。1cm以下の泥岩の岩片が多く入っている砂岩も見られます。(真中の写真) 〇泥岩:つやのない黒色、黒色と灰色が混ざったものが見られます。弱い熱変成を受けて、硬くなっている岩石もあります。熱変成を受けているとホルンフェルスですが、顕微鏡(偏光顕微鏡)で確認していませんので、写真の中にもホルンフェルスと判断した方がよい岩石があるかもしれません。(中下の写真) 〇石灰岩:少ないです。大きいものは見当たりませんでした。白色から灰色で、表面の傷が白く粉っぽく見えます。(下の写真の左)

長良川下流沿いの地形と設備 その11(最終回) 千本松原と宝暦治水之碑 :海津市海津町油島千本松原南端

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  木曽三川公園の南に千本松原がありますが、その南端に宝暦治水之碑があり、岐阜県の最南端部(県境)にあたります。木曽三川公園の駐車場出口から南へ約1 . 1km進むと宝暦治水之碑があり、その間が千本松原です。県境から伊勢湾河口部までは、12kmほどあります。言い方を変えると、岐阜県は海なし県ですが、海から10kmほどしか離れていない県とも言えます。 宝暦治水の中心的な工事が、旧木曽川と揖斐川を分離する油島の 締切堤防の築造です。洪水を防ぐための木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の分流は、明治時代になって、オランダの土木技師ヨハネス・デ・レーケの指導による近代土木技術を用いた本格的な治水工事によって完成したようです。岐阜県の最南端部にある宝暦治水之碑は、デ・レーケによる分流工事後の1900年(明治33年)に建立され、宝暦治水工事の偉業と工事に携わった薩摩藩士の辛酸が記されています。宝暦治水之碑の数10m南には、近代治水百年記念碑もあり、宝暦治水を中心になって推し進めた平田靱負(ゆきえ)、オランダの土木技師ヨハネス・デ・レーケを木曽三川治水の先駆者として紹介しています。 地質図において、×地点は宝暦治水之碑がある場所です。この地質図は岐阜県の地質図ですので、岐阜県以外は地質が記されていません。灰色(a 1 )は主に自然堤防の堆積物で、白色( a )主に後背湿地の堆積物です。a 1 は砂などが堆積して周りと比べてやや高いので、昔の人々は主に家屋や畑として利用し、 a は泥などが堆積しているため主に水田に利用してきました。写真は五種類ありますが、上の写真は、木曽三川公園展望タワーから南を向いて撮った千本松原です。千本松原の左が長良川で、右が揖斐川です。中上の写真は木曽三川公園の駐車場から南を向いて千本松原を撮ったもので、真中の写真は岐阜県境から北を向いて千本松原を撮ったものです。中下の写真は、真中の写真とほぼ同じ位置から北を向いて千本松原と展望タワーを撮ったものです。下の写真は、岐阜県境近くにある宝暦治水之碑を南から撮ったものです。上と中上、中下、下の写真は、同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の白丸またを、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。(地質図はHP「ジオランドぎふ」より 岐阜県博物館提供) 美濃地