長良川下流沿いの地形と設備 その11(最終回) 千本松原と宝暦治水之碑 :海津市海津町油島千本松原南端

 木曽三川公園の南に千本松原がありますが、その南端に宝暦治水之碑があり、岐阜県の最南端部(県境)にあたります。木曽三川公園の駐車場出口から南へ約1.1km進むと宝暦治水之碑があり、その間が千本松原です。県境から伊勢湾河口部までは、12kmほどあります。言い方を変えると、岐阜県は海なし県ですが、海から10kmほどしか離れていない県とも言えます。

宝暦治水の中心的な工事が、旧木曽川と揖斐川を分離する油島の締切堤防の築造です。洪水を防ぐための木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)の分流は、明治時代になって、オランダの土木技師ヨハネス・デ・レーケの指導による近代土木技術を用いた本格的な治水工事によって完成したようです。岐阜県の最南端部にある宝暦治水之碑は、デ・レーケによる分流工事後の1900年(明治33年)に建立され、宝暦治水工事の偉業と工事に携わった薩摩藩士の辛酸が記されています。宝暦治水之碑の数10m南には、近代治水百年記念碑もあり、宝暦治水を中心になって推し進めた平田靱負(ゆきえ)、オランダの土木技師ヨハネス・デ・レーケを木曽三川治水の先駆者として紹介しています。

地質図において、×地点は宝暦治水之碑がある場所です。この地質図は岐阜県の地質図ですので、岐阜県以外は地質が記されていません。灰色(a1)は主に自然堤防の堆積物で、白色(a)主に後背湿地の堆積物です。a1は砂などが堆積して周りと比べてやや高いので、昔の人々は主に家屋や畑として利用し、aは泥などが堆積しているため主に水田に利用してきました。写真は五種類ありますが、上の写真は、木曽三川公園展望タワーから南を向いて撮った千本松原です。千本松原の左が長良川で、右が揖斐川です。中上の写真は木曽三川公園の駐車場から南を向いて千本松原を撮ったもので、真中の写真は岐阜県境から北を向いて千本松原を撮ったものです。中下の写真は、真中の写真とほぼ同じ位置から北を向いて千本松原と展望タワーを撮ったものです。下の写真は、岐阜県境近くにある宝暦治水之碑を南から撮ったものです。上と中上、中下、下の写真は、同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の白丸またを、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。(地質図はHP「ジオランドぎふ」より 岐阜県博物館提供)







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