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津保川沿いの岩石 その3(関市下之保多良木:砂岩泥岩互層)

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  関市下之保多良木の多良木橋下に露出しているのは、美濃帯堆積岩類の砂岩泥岩互層です。砂岩や泥岩は、海洋プレートにのって運ばれてきた玄武岩質溶岩や石灰岩、チャート層などとは違って、大陸側から流れ込んだ砂や泥が元になっています。砂と泥の混じったものが水中に運ばれると、砂のように粒の大きいものが先に沈み、泥のような小さい粒がゆっくりと沈みます。粒子が粗い砂は下に、その上に粒子の細かい泥が堆積します。その結果、下の方に砂の層が、上の方に泥の層が堆積します。このような砂と泥が何回も繰り返して斜面を流れて海底に堆積すると、砂泥互層のような地層が堆積するのです。それが固結し岩石になったものが砂岩泥岩互層です。砂岩泥岩互層を下から見ていくと砂岩が堆積し、上に行くにしたがって粒の細かい泥岩が堆積し、その上に急に粗い砂岩が堆積し、まただんだんと細かい泥が堆積し、急に粗い砂岩が…というように、よく観察すると砂岩泥岩互層の上下がわかるのです。 県道58号関金山線を北進し、下之保に入り、左側にあるコンビニを越えてしばらく進むと、津保川を渡る橋(多良木橋)があります。右側には工場がある場所です。多良木橋の手前右手の脇から川原へ歩いて下りることができます。津保川右岸の河床に広く岩石が露出していますが、砂岩泥岩互層です。 写真が三種類ありますが、上の写真は砂岩泥岩互層を少し離れて北から撮ったもの、真中の写真は近づいて泥岩と砂岩の境界を撮ったものです。下の写真は方向を変えて西から撮ったものです。いずれも灰色っぽいのが砂岩で、暗い灰色っぽいのが泥岩です。上と下の写真は同じような写真が並んでいますが、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、下の白丸を重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

津保川沿いの岩石 その2(関市神野下日立:花崗斑岩と泥岩)

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  津保川沿いでも長良川沿い、板取川沿いと同様に、美濃帯堆積岩類を貫くように、花崗斑岩などの貫入岩が露出しています。長良川やその支流で見られる花崗斑岩などは、美濃帯堆積岩類が大陸に付加した後に、長良川の東側に広く分布する濃飛流紋岩や西側に分布する奥美濃酸性岩類に関連したマグマの一部が貫入し、冷え固まった岩石です。 9月28日の「長良川沿いの花崗斑岩その2」で紹介しましたが、貫入された岩石(泥岩)との接触部付近 では花崗斑岩の斑晶(鉱物の粒)は細粒で、少し離れている花崗斑岩の斑晶は大きいという状況が見られます。他の岩石との接触部付近で斑晶が細かい部分を急冷周縁相と呼びますが、急冷周縁相では少し離れたところで見られるような1 cm 以上ある長石の斑晶は一切見られません。それは以下のような理由によります。冷え固まる前の花崗斑岩は、液体状で流れて移動しています。泥岩との接触部では低温と摩擦のため低速になりますが、接触部から離れているところは高速のままです。すると、高速である方に大きな結晶が引っ張られて移動するのです(このことをバクノルド効果と言うようです)。 県道58号関金山線で西神野郵便局を越え、しばらく北進すると、神野交差点があります。さらに900mほど進むと左側に自動車整備工場がありますが、その先の右側にある橋を右折して渡ります。渡ってすぐを右折し、約40mほどで右側に空き地があります。川へ下りる細い道をたどり川へ下ります。黒っぽい泥岩と白っぽい花崗斑岩が津保川左岸に露出しています。対岸にも花崗斑岩が露出しています。 写真が四種類ありますが、上の写真は花崗斑岩を少しはなれて南から撮ったもので、中上の写真は近づいて撮ったものです。中下の写真は花崗斑岩を接写したもので、写真の縦は5 cm です。下の写真は泥岩と花崗斑岩との接触部を撮ったもので、左側が泥岩で、右側のスケールがある方が花崗斑岩です。スケールは20cmです。上と中上、下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、写真の下にある左の●と右の●を重なり合わせるように見ると立体的に見えます。

津保川沿いの岩石 その1(関市西神野中央:泥岩と甌穴)

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  津保川沿いの岩石 その1(関市西神野中央:泥岩と甌穴) 今回から長良川の支流である津保川沿いの岩石について、何回かにわたって下流から順に紹介します。 県道58号関金山線を富加関IC入口辺りから北進します。関市立富野小学校を越えると左側に富野駐在所があります。100m強のところに右側に橋があります。西神野郵便局の手前100mのところです。橋の北東側から川へ下りると黒っぽい岩石(泥岩)が露出し、穴(甌穴)がいくつもあるのがわかります。 甌穴は、チャート層のような硬い岩石にできます。運ばれてきた石が岩盤の表面にある割れ目などにひっかかり、強い流れの中でその石が回転し、ドリルのように岩盤に穴をあけるのです。岩盤が硬くない場合は、穴ができても周りがくずれるため、しっかりとした穴が残りません。そのため、甌穴は河床の岩盤が硬く、激しい流れを生じる場所であれば、どの河川でも見られるものです。ここの岩石は泥岩ですが、割合硬いため甌穴ができているのだと思われます。泥岩が硬いのは、貫入岩などによる熱変成が考えられます。貫入岩については「津保川沿いの岩石その2」で紹介します。甌穴はいずれも直径が10数cm~数10 cm で、深さも数10 cm 程度です . 写真が三種類ありますが、上の写真は甌穴が見られる場所を南から撮ったもの、真中の写真は泥岩を接写したものです。写真の縦は4 cm です。下の写真は甌穴の一つを西上より撮影したもので、甌穴の長径58 cm 、短径30 cm 、深さは25 cm ほどです。上と下の写真は同じような写真が2枚並んでいますが、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、下の●を重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

板取川沿いの岩石 その24(関市板取川浦谷:川浦谷花崗岩)

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  板取川沿いの岩石 その24(関市板取川浦谷:川浦谷花崗岩)  板取川の最上流部の山地は深い V 字谷になっていて、見事な峡谷をつくり出しています。この川浦(かおれ)峡谷付近は、風化しやすい花崗岩でできています。この花崗岩(川浦谷花崗岩)は長径4 . 8km、短径2 . 5kmの岩体です。岩体の主体は中粒の花崗岩ですが、花崗斑岩の岩相を示す部分も多くあります。花崗岩は主に2~5mmの石英・カリ長石・斜長石・黒雲母からなり、角閃石などの鉱物を含みます。この地域は豪雨地域ということもあり、花崗岩の垂直方向にできている節理に沿って侵食が進み、険しい谷になったと考えられます。 写真が四種類ありますが、上の写真は川浦渓谷の表示板の手前の橋(川浦2号橋)から撮ったものです。中上の写真は川浦渓谷の遊歩道沿いに見られる花崗岩を撮ったもので、中下の写真は近づいて撮ったものです。黄色のスケールは20 cm です。下の写真は花崗岩を接写したもので、写真の縦は6 cm です。 上と中上、中下の写真は 同じような写真が2枚並んでいますが、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、下の白丸または黒丸を重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

板取川沿いの岩石 その23(関市板取杉原:珪質泥岩の熱変成)

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  板取川沿いの岩石 その23(関市板取杉原:珪質泥岩の熱変成)  関市板取杉原に温泉施設がありますが、その駐車場の北西に 橿 瀬(かしぜ)橋が板取川に架かっています。その橋から北を望むと、上の写真のように左岸に珪質泥岩が露出しているのがわかります。「板取川沿いの岩石その24」で紹介しますが、温泉施設の西数 km のところに川浦谷花崗岩が分布しています。そのため、花崗岩などにより高熱を受けて鉱物が変わり、硬くなっています(接触変成作用、熱変成作用)。珪質泥岩は黒色をしていますが、ハンマーなどでここの岩石を割ると、黒色ですがわずかに赤紫っぽい色をしているのがわかります。接触変成作用で細かい黒雲母が多くできていて、赤紫っぽい色に見えるのです。黒雲母の個々の粒子はルーペでも認められないほど微細なことが多いです。 橿 瀬橋の南西から川原に下りて、上流に向かって歩けばよいのですが、珪質泥岩が露出している場所に行くには藪こぎをしないと行けませんでした。 写真が四種類ありますが、上の写真は 橿 瀬橋から北側(上流側)を撮ったもので、点線のマルの場所が珪質泥岩の露出しているところです。中上の写真は珪質泥岩を東から撮ったもので、中下の写真は近づいて撮ったものです。下の写真は珪質泥岩を接写したものです。黒いですが、わずかに赤紫っぽい色をしているのがわかると思います。下の写真の縦は3 cm です。中 上と中下の写真は 同じような写真が2枚並んでいますが、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、下の●を重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

板取川沿いの岩石 その22(関市板取九蔵:砂岩)

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  板取川沿いの岩石 その22(関市板取九蔵:砂岩) 関市板取の運動公園周辺の九蔵、松場、中切、野口にかけては、山地と山地に挟まれた平地が割合広いです。美濃帯堆積岩類で多く見られるチャートと砂岩・泥岩では侵食の違いがあり、チャート層は侵食されにくく、砂岩層や泥岩層は侵食されやすいという違いがあります。そのため、一概には言えませんが、同じ川沿いにチャートと砂岩・泥岩が分布する場合、チャートは地形が険しくて平地が狭く、砂岩・泥岩は地形がなだらかで平地が広い場合が多いです。板取九蔵~野口にかけては、砂岩が分布していて、割合広く平地が広がっています。 県道52号を通って、関市板取の運動公園に向かいます。運動公園を通り越したところで、「九蔵-松場」の表示板が左側(南側)にあります。そこから90mほど進んだところで左に道がありますので、左折し、突き当たるまで進みます。突き当たりは板取川に架かったつり橋です。近くに車を止め、川原へ下りる道を探して下ります。つり橋の下流側(東側)10mほどのところ(左岸)に砂岩が露出しています。また、川原をしばらく歩かなければなりませんが、350mほど下流へ進むと北側に泥岩を挟む砂岩が連続的に露出しています。運動公園のほぼ南の板取川沿いの位置です。 写真が三種類ありますが、上の写真はつり橋の近くの砂岩を南東から撮ったもの、真中の写真は近づいて砂岩を接写したものです。下の写真は350mほど下流へ進み、泥岩を挟んだ砂岩を南から撮ったものです。上と下の写真は、同じような写真が2枚並んでいますが、写真の下の白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

板取川沿いの岩石 その21(関市板取岩本:非溶結の凝灰岩)

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  板取川沿いの岩石 その21(関市板取岩本:非溶結の凝灰岩)  奥美濃酸性岩類は、11月18日の「板取川沿いの岩石その3」で紹介したように、岐阜県の約1/4の面積を占める濃飛流紋岩のような1つの巨大な岩体をつくっているのではなく、美濃市北部、関市洞戸~板取、郡上市八幡町西部などの山頂や尾根上などの標高の高いところに点在するように分布しています。そのため、板取川沿いに広く分布しているわけではありませんが、関市板取岩本の川原でも見ることができます。 国道256号を北進し、板取老洞と生老のほぼ境界で郡上方面に右折することなく、そのまま県道52号で北進します。板取上ヶ瀬の板取事務所を越え、板取小学校方面に向かう途中に右側に「岩本」の表示板があり、左側にテニスコートと岩本集会所があります。岩本集会場の西に川原へ下りる道があり、川原の左岸を下流(南)に向かって100mほど歩いたところに岩石が露出しています。 ここに露出している奥美濃酸性岩類の凝灰岩は、12月8日の「板取川沿いの岩石その16」や11月18日の「板取川沿いの岩石その3」で紹介した溶結凝灰岩とは異なっているようです。近づいてみると、見た目楕円形の本質物(奥美濃酸性岩類の一連の噴出物)が点在します。火山豆石または軽石だと思われますが、つぶれていないので溶結はしていないと考えられます。 写真が三種類ありますが、上の写真は凝灰岩を南から撮ったもので、真中の写真は近づいて撮ったものです。下の写真はもっと近づいて凝灰岩を接写したもので、灰色の楕円形のものが見えます。写真の縦は3 cm で、スケールの一目盛りは1mmです。 上の写真は 同じような写真が2枚並んでいますが、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、下の●を重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

板取川沿いの岩石 その20(関市板取生老:チャート層と破断した砂岩泥岩互層)

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  板取川沿いの岩石 その20(関市板取生老:チャート層と破断した砂岩泥岩互層)  板取生老にある板取医療センター東側の川原には、チャート層と破断を受けたと思われる砂岩泥岩互層が露出しています。チャート層と破断した砂岩泥岩互層が接しているところも見られます。国道256号を北進し、関市板取老洞の集落を越えてしばらくすると、郡上市方面との分岐点があります。右折するとふれあい大橋を渡り郡上方面に行きますが、そのまま北進します。すぐのところに大きな建物(板取医療センター)があります。その東側から川原に下りる道があります。川原(右岸)には、数m規模の露出した岩石が点在しています。 写真が三種類ありますが、上の写真はチャート層と破断した砂岩泥岩互層の接触部を東から撮ったもので、真中の写真は近づいて撮ったものです。右側がチャート層で、左側が破断した砂岩泥岩互層です。下の写真は上の写真の場所から北東10m強の位置にある破断した砂岩泥岩互層を南から撮ったものです。三種類の写真とも同じような写真が2枚並んでいますが、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、下の黒丸や白丸を重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

板取川沿いの岩石 その19(関市板取老洞:石灰岩、チャート層)

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  板取川沿いの岩石 その19(関市板取老洞:石灰岩、チャート層) 板取川沿いにおいて石灰岩はあまり分布していませんが、関市板取老洞の右岸には露出しています。石灰岩は、大昔のサンゴ礁が海洋プレートによって運ばれ、日本列島にくっついた(付加した)ものです。セメント生成のための石灰岩採掘場所や鍾乳洞のような大きな規模の石灰岩岩体から数m規模の石灰岩まで大小の石灰岩があります。板取老洞には表面は汚れていて見にくいですが、数m~10数mオーダーの石灰岩が露出しています。この石灰岩は、奥美濃酸性岩類による高熱によって熱変成しており、結晶石灰岩になっていると思われます。また、近くにはチャート層も露出しています。 板取一里保木のキャンプ場から約1 . 6km北進すると、老洞の集落が見え始め、右側(東側)に川原に下りる鉄製の階段がついています。その階段の10m先には老洞の表示板があります。そこを下り、下流(東)に向かって50m強のところに石灰岩が露出しています。 写真が三種類ありますが、上の写真は階段から東へ50m強のところにある石灰岩を西から撮ったもので、真中の写真はその一部を割って接写したものです。下の写真は階段を下りて北へ200mほどのところに露出しているチャート層です。 上と下の二枚の写真は 同じような写真が2枚並んでいますが、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、下の●を重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

板取川沿いの岩石 その18(関市板取一里保木:メランジュ)

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  板取川沿いの岩石 その18(関市板取一里保木:メランジュ) 11月24日の「板取川沿いの岩石その6」で洞戸通元寺のメランジュについて紹介しました。メランジュは、地質としての連続性がなく、細粒の泥岩などの基質の中にいろいろな大きさや種類からなる岩塊を含むような地質体です。関市板取一里保木にあるキャンプ場の板取川沿いにも露出しています。砂岩・珪質泥岩・チャート・石灰岩などの岩塊が泥岩の基質の中に埋められたように含まれています。 国道256号を洞戸の市街地から北進し、板取大橋を過ぎて3 km ほど進むと板取一里保木のキャンプ場があります。キャンプ場にあるつり橋近辺から下流に向けて右岸は180mほど、左岸は280mほど連続して岩石が露出しています。右岸(西側)は観察しやすいです。角礫状になったチャート、チャート層、珪質泥岩層、石灰岩チャート互層などの岩塊が見られ、その間に砂岩やチャートなどを含んだ黒色泥岩が分布しています。 写真が四種類ありますが、上の写真はチャートが角礫状となった岩塊と基質の泥岩との接触部を東から撮ったもの、中上の写真はチャート層の岩塊と基質の泥岩との接触部を南東から撮ったものです。中下の写真はチャートの礫を含んだ珪質泥岩を南から、下の写真は石灰岩チャート互層を東から撮ったものです。下の写真で表面がごつごつした感じのものがチャートで、なめらかなものが石灰岩です。四枚とも同じような写真が2枚並んでいますが、それぞれの写真の下の白丸や黒丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

板取川沿いの岩石 その17(関市洞戸小瀬見:花崗斑岩)

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  板取川沿いの岩石 その17(関市洞戸小瀬見:花崗斑岩) 洞戸小瀬見の板取川沿いでは、奥美濃酸性岩類の溶結凝灰岩と 美濃帯堆積岩類の境界部に 貫入する花崗斑岩が分布します。 花崗斑岩などの貫入岩は、高温の液体のマグマが他の岩石の割れ目などに入り込み、冷え固まった岩石です。大規模な火砕流堆積物が堆積する場合、陥没地(カルデラ)が生じ、そのカルデラを埋めるように火砕流が堆積し、その結果非常に厚い溶結凝灰岩が生成されます。そして、カルデラの縁に花崗斑岩などが貫入することがあります。そのため、花崗斑岩などの貫入岩の分布がわかれば、堆積した溶結凝灰岩が全て浸食されていても過去のカルデラの範囲を推測することができるようです。 国道256号を洞戸の市街地から北進し、約8 km で板取大橋を渡り、さらに1 . 2 km ほど進むと小瀬見橋を通ります。小瀬見橋の先200m弱のところに小瀬見多目的集会所があります。その北側に板取川が流れていますが、下りて下流へ進むと花崗斑岩が露出しています。ただし、普段は洞戸ダムが閉まっており湖状になっているため、湖面の下になっています。洞戸ダムが開いていて、ダム湖がない時に写真を撮りました。 写真が四種類ありますが、上の写真は花崗斑岩を西より撮ったもので、中上の写真は同じ花崗斑岩を南より撮ったものです。中下の写真はその花崗斑岩を近くから撮ったものです。下の写真は、小瀬見橋の東から川原へ下りて板取川左岸の溶結凝灰岩を北東より撮ったものです。普段はダム湖の水面下です。上と中 上、下の写真は 同じような写真が2枚並んでいますが、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、下の白丸を重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

板取川沿いの岩石 その16(関市板取白谷:溶結凝灰岩)

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  板取川沿いの岩石 その16(関市板取白谷:溶結凝灰岩)  板取川沿いには奥美濃酸性岩類が分布し、何ヶ所かで川原でも見ることができます。関市洞戸事務所東の国道256号を北進し、8 km ほどで名もなき池で有名になった関市板取白谷に入ります。白谷手前に架かっている板取大橋の約300m先の左側に古い橋(下白谷橋)があります。そこから上流側(北)や下流側(南)を見ると、板取川沿いに岩石が露出しています。どちら側も奥美濃酸性岩類の火砕流堆積物で、岩石名としては溶結凝灰岩です。ここの溶結凝灰岩は、研究者によって奥美濃酸性岩類洞戸岩体と名付けられていますが、調査では堆積物の厚さは200~500m以上のようです。このような大規模な火砕流堆積物は、噴出時に爆発的であるため、マグマの中に晶出している鉱物が砕かれ、破片状になってしまうことが多いです。そのため、溶結凝灰岩を見ると、入っている石英や長石などの鉱物が砕かれて、平面上では三角形などの形になっていることがあります。 写真が四種類ありますが、上の写真は下白谷橋から北側を眺めて撮ったもので、中上の写真は上の写真の〇で囲んだ溶結凝灰岩を北より撮ったものです。中下の写真は溶結凝灰岩を接写したもので、縦は約3 . 5 cm です。灰色のように写っているのが無色透明な石英ですが、噴出時に砕けて平面状では三角形をしたのものがあります。下の写真は、下白谷橋の南100mほどの溶結凝灰岩を南から撮ったものです。中 上と下の写真は 同じような写真が2枚並んでいますが、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、下の黒丸または白丸を重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

板取川沿いの岩石 その15(関市洞戸と板取の境界地点:チャート中の泥岩の貫入)

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  板取川沿いの岩石 その15(関市洞戸と板取の境界地点:チャート中の泥岩の貫入)  関市洞戸高見と板取白谷の境界を板取大橋が通っています。板取大橋から下流側(東側)を見ると、上の写真のように見えます。白色の点線で囲まれたところに近づくと、チャート中に泥岩が入り込んでいるのが見えます。岩石にあるものが貫入するには、岩石の割れ目などに液体状のものが入り込む必要があります。そのため、普通はマグマなどの液体が他の岩石に貫入し、その後固結するわけですが、砂岩や泥岩のような堆積岩が他の岩石に貫入する場合(砕屑岩脈と呼びます)もあります。砂岩や泥岩などが液状化して貫入したものと思われます。ここではチャートに泥岩が貫入しています。原因など詳しいことはわかりませんが。 関市洞戸事務所東の国道256号を北進し、約7 . 9km進むと板取大橋を渡ります。板取大橋を渡る手前の右側(東側)に川原へ下りる道があります。川原に下りて北側を眺めると、川の水面から2箇所で岩盤が出ていますが、南から見て左側(西側)のものです。近辺の板取川右岸にはチャート層や破断した砂岩泥岩互層が見られます。 写真が四種類ありますが、上の写真は板取大橋より下流側を眺めた写真です。中上の写真はチャートを北東から、中下の写真は近づいて撮ったものです。また、下の写真はもう少し近づいて北東から撮ったものです。白っぽくまた褐色っぽく見えるのはチャートで、黒っぽく見えるのは泥岩です。上中、下中の二種類の写真は同じような写真が2枚並んでいますが、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、下の●を重ね合わせるようにすると立体的に見えます。
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  板取川沿いの岩石 その14(関市洞戸高見:破断した砂岩泥岩互層)  関市洞戸事務所東の国道256号を北進し、約5 . 3km進むと右側に新高賀橋がありますが、さらに2kmほど進むと洞戸高見の集落に入ります。新高賀橋から約2 . 2kmのところが高見の集落の終わり辺りですが、右手に川の方向(東)へ進む道があります。位置としては、板取大橋の手前(南)300m強のところです。東へ進む道はロープが引いてあり、車では進めないようですので、歩きます。東へ80mほど歩き川に近づき、右折し南へ90mほど歩くと、川へ下りる細い道があります。そこを下りると、板取川の右岸に破断した砂岩泥岩互層が露出しています。 写真が三種類ありますが、上の写真は川へ下りたすぐの場所に露出している破断した砂岩泥岩互層を北から撮ったもので、真中の写真は近づいて撮ったものです。光の加減で見にくいですが、黒っぽいのが泥岩で、灰色っぽいのが砂岩です。下の写真は、南へ 50m 強進んだところを北から撮ったものです。 上と下の二枚の写真は 同じような写真が2枚並んでいますが、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、下の●を重ね合わせるようにすると立体的に見えます。