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県内美濃地方編 その80 本巣市・山県市周辺3 本巣市金原の横ずれ断層痕、湧水池 :本巣市金原横ずれ断層痕、蛇池(国道157号沿い)

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根尾谷断層(広義の意味での)は、可児市帷子付近から関市、山県市高富・伊自良、本巣市根尾を経て、福井県大野市に至る北西-南東方向に延びる全長100kmにも及ぶ大断層です。南東から梅原断層、根尾谷断層(狭義の意味での)、温見断層などの複数の断層が雁行状に並んで断層帯を形成しています。狭義の意味での根尾谷断層は、能郷白山付近から本巣市根尾をおおよそ根尾川に沿って南下し、岐阜市北端部へと続く全長約40kmの活断層です。 根尾谷断層が通る本巣市金原では、左横ずれ屈曲が残る道や湧水池が見られます。本巣市金原の県道79号関本巣線と国道157号の交差点から、国道157号を北進すると1kmほどの国道沿い東側に池があります。蛇池と呼ばれるこの池は、断層によって破砕された岩石の間から湧き出た水によってできた湧水池です。1891年の濃尾地震以前からあり、濃尾地震の際にさらに陥没して大きくなったようです。蛇池からさらに北方へ200m強進んだ西側に、根尾谷断層の横ずれによって屈曲した幅約3 . 1mの道路が1本残されています。金原の谷に沿って延びる根尾谷断層が動いて濃尾地震を起こした際には、田畑や小道などが3 . 5~4 . 5mの横ずれを起こしました。長い間そのまま保存されていましたが、1984年ごろに行われた圃場整備によってほとんどが消失してしまいました。 写真が四種類ありますが、上の写真は本巣市金原の道路の屈曲を国道側(北東側)からパノラマで撮ったもので、中上の写真は反対の南西側から撮ったものです。中下の写真は蛇池を東からパノラマで撮ったもので、下の写真は南から撮ったものです。中上と下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下にある白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その79 本巣市・山県市周辺2 本巣市根尾中の横ずれ断層痕(根尾谷地震断層) :本巣市根尾中(国道157号沿い)

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    水鳥地区から県道255号を北進し、開運橋を渡り、国道157号へ入り、そのまま北進します。地震断層観察館から4 . 5kmほど進んだところにある中地区では、根尾谷断層が左横ずれを起こした跡が畑の境界である茶の木の列により残されています。「中の左横ずれ断層」と呼ばれ、2007年(平成19年)に、国指定の特別天然記念物に追加指定されています。その案内板が国道157号の脇に立っています。 中地区の左横ずれ断層の変位量は最大9 . 2m、平均7 . 4mで、1891年の地震による変位量としては最大を示すようです。縦ずれの変位は崖として残りやすいですが、横ずれの変位はなかなか残ることはなく、時がたてばわからなくなってしまうことが多いです。ここでは、畑の境界に植えられている茶の木の列が横ずれ断層の影響で、手前から奥へ向かって左へずれるように屈曲しています。元は直線状に延びていた茶の木の列を横切って断層が左横ずれを起こし、屈曲させて約7mずれたことを示しています。現在も屈曲が残っているのは、土地所有者の数代にわたる日常的な管理と御好意で120年以上も大切に保存されたおかげだと思います。 写真が四種類ありますが、上の写真は茶の木の屈曲を南東からパノラマで撮ったもので、中上の写真は上の写真の中央左を撮ったものです。中下の写真は同じ茶の木の列を南から撮ったもので、下の写真は国道157号沿い(北)から撮ったものです。中上と中下、下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下にある●を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その78 本巣市・山県市周辺1 本巣市根尾水鳥の根尾谷断層(水鳥の断層崖) :本巣市根尾水鳥の「地震断層観察館」周辺

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今から130年前の 1891 年 10 月 28 日 午前6時38分に、現在の本巣市根尾を 震央 として 濃尾地震 が発生しました。この地震は、岐阜県や愛知県などで大きな被害をもたらし、7000人ほどの犠牲者を出しました。 地震 の規模は マグニチュード 8 . 0であり、内陸の断層によって起きた地震の中では最大級のものです。この濃尾地震を引き起こした断層群を「根尾谷断層(系)」と呼び、それを代表する断層の一つが本巣市根尾の水鳥(みどり)地区にある北西-南東方向に延びる断層崖(「水鳥の断層崖」)です。地下にある岩石の破壊により地震は起きますが、その破壊が断層として地表に現れ、一瞬のうちに北東側を約6m上昇させるとともに、同時に2~3mの左横ずれの崖を形成しました。この断層崖は、 1952 年(昭和 27 年)に国の特別天然記念物に指定されていて、その一部を掘削して断層面がみえるようにしてあるのが地震断層観察館です。地震断層観察館の南側には県道の脇から階段を上がると断層展望台があり、断層崖とその周辺の様子が一望できます。 地震断層観察館から北へ500m強のところに大将軍断層と呼ばれる東西方向に延びる断層崖があります。水鳥地区には水鳥の断層崖と大将軍断層、それに根尾川沿いに走る断層の3本の断層があり、それらに囲まれた部分が濃尾地震の際に上昇しました。根尾谷断層は、全体としては左横ずれが主の断層ですが、水鳥地区では縦ずれの運動を主体としていて、特殊な場所にあたっています。 写真が四種類ありますが、上の写真は「水鳥の断層崖」を南からパノラマで撮ったもので、中上の写真は石碑近くから断層崖を撮ったものです。中下の写真は断層展望台からパノラマで北を望んで撮ったもので、下の写真は中下の写真の中央右を撮ったもので す。中上と下の写真は 同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その77 西濃地域12 大垣市加賀野八幡神社などの自噴水 :大垣市加賀野の加賀野八幡神社、本今町の春日神社、西外側町の八幡神社、郭町の自噴する井戸

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大垣市は濃尾平野の西の端近くにありますが、特に豊かな地下水に恵まれています。濃尾平野の西側にある養老山地は、この山地のすそ野を北北西-南南東方向に通っている養老断層を境として、西側が隆起したためにできた山地です。逆に、東側は沈降し、そこに地層が広く堆積した地形が濃尾平野です。濃尾平野の西の端は、沈降する量が大きく、東側へ行くほど沈降する量が少なく、濃尾平野は西側の地層は厚く、東側の地層は薄くなっており、地層は西側に傾いています。そのため、常に低いところへ流れようとする水は、西に集まりやすくなります。実際、木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)は、山地部では主に北から南へ流れていますが、特に木曽川、長良川は濃尾平野では西、または南西へ流れ、西の端に集まって伊勢湾へ流れ下っています。木曽三川の流れは濃尾平野の地下にある地層の傾きに大きく影響を受けています。地下水も同じように西に集まりやすく、かつ養老山地がありそれ以上は西に行くことができないため、大垣市周辺の地下に地下水が集まると思われます。 地下水は地下のどこでも流れているわけではなく、流れやすいところと、流れにくいところがあります。礫や砂からなる地層と、泥からなる地層が交互に積み重なっている場合、礫や砂からなる地層はすき間があるため水は通りやすいのですが、泥からなる地層はすき間がなく水が通りにくいです。そのため、地表から井戸を掘った場合、礫や砂からなる地層に達すれば、地下深いと特に周囲から圧力がかかっているため、水が噴き上がってくることになります。それが自噴水です。 図が一種類、写真が四種類あります。図は濃尾平野の東西の地下の概略図です。上の写真は加賀の八幡神社の井戸で、深さ136mで、約14℃の地下水が湧き出ているようです。中上の写真は本今町の春日神社にある「春日の宮湧き出ずる名水」と名付けられた深さ201mの自噴する井戸です。中下の写真は、西外側町の八幡神社の境内に平成16年に掘られた深さ125mの自噴する井戸です。下の写真は、平成15年に完成した郭町の深さ138mの自噴する井戸です。

県内美濃地方編 その76 西濃地域11 揖斐川町春日笹又さざれ石公園の石灰質角礫岩 :揖斐郡揖斐川町春日笹又さざれ石公園

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    揖斐川町春日古屋の西の笹又地区にはさざれ石公園があり、岐阜県指定の天然記念物「笹又の石灰質角礫巨岩」が見られます。この岩石は、横5 . 6m、幅2 . 7m、高さ3 . 0mで、さざれ石と呼ばれ、大小さまざまの石灰岩の角礫状のものが集まり、それらが互いにくっついたように固まった岩石です。石灰質角礫岩と呼ばれるこの岩石は、天然記念物に指定されている岩石だけではなく、付近にさまざまな大きさで分布しています。この地域は、美濃帯堆積岩類の一つである石灰岩が山体の上半部を占めて分布する伊吹山の東斜面にあたります。斜面を崩れ落ちてきた石灰岩の岩屑は積み重なり堆積しました。石灰岩は雨水によって溶かされるとともに、溶かされた石灰分が再び沈着し、セメントの役割をしました。その結果、角礫同士を固めて天然のコンクリートとなり、ほとんど石灰岩の角礫からなる角礫岩が形成されました。 写真が四種類ありますが、上の写真はさざれ石公園の「笹又の石灰質角礫巨岩」をパノラマで撮ったもので、中上の写真は上の写真の中央左側を撮ったものです。中下の写真は西へ10mほど進んだところにある石灰質角礫岩(上の写真の左側に写っている木の下にある岩石)に近づいて撮ったものです。下の写真は、さざれ石公園の駐車場から延びている歩道沿いにある石灰質角礫岩を南東から撮ったものです。中下と下の写真に写っている黄色のスケールは約20cmです。中上と中下、下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下部の黒丸または白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その75 西濃地域10 関ヶ原町瑞竜の関ヶ原断層 :不破郡関ヶ原町瑞竜大栗毛川右岸

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    関ヶ原町は、北側の伊吹山地と南側の鈴鹿山地の間を東西方向に延びる低地にあります。古来から交通の要所として、また天下分け目の戦場となったことはよく知られています。この地域は、伊勢湾から北西に延びて日本海側の敦賀湾へ達する断層帯(柳ヶ瀬~養老断層系)によってつくられた地帯です。この断層帯の中央部に関ヶ原断層は位置します。関ヶ原断層は調査によると、第四紀前期以後に活動した断層であることは確認でき、第四紀後期の少なくとも 17,000 年前より新しい時代には活動していないことがわかったようです。 関ヶ原バイパス「瑞竜」の交差点(岡山烽火場の矢印あり)を北進し、50mほどを東へ曲がり(右折)、150mほどのところ(小さな橋を渡ってすぐのところ)に2本北へ進む道があります。その山へ上がる方向の道(2本目の道)を160mほど北進し、西を見ると川(大栗毛川)が屈曲しているのが見られます(上の写真)。 横ずれ断層が繰り返して活動すると、はじめは真直ぐだった谷川の流路が断層を境に少しずつずれていきます。その結果、川が何10m~何kmも屈曲することがあります。そのため、屈曲が隣り合う何本かの谷で見られ、かつ屈曲部分が一直線に並べば、そこを活断層が通っていると推定できます。また、活断層は何回もずれ動くため、断層沿いの硬い岩石は引きちぎられたり、こすり合ったりして破砕されます。ここでは、大栗毛川の流路が横ずれ断層によって約200m屈曲しているのがわかります。また、川の右岸には基盤の美濃帯堆積岩類が露出し、破砕されている様子が観察できます。 写真が四種類ありますが、上の写真は大栗毛川の屈曲を東からパノラマで撮ったもので、中上の写真は上の写真の中央部を撮ったものです。中下の写真は、上の写真の「断層の露頭」に近づいて北から撮ったもので、美濃帯堆積岩類が破砕されています。下の写真は、中下の写真の一部により近づいて撮ったもので、写真の縦は15cmです。中上と中下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下にある白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その74 西濃地域9 垂井町不破高校裏の東海層群 :不破郡垂井町不破高校南西笹石子谷右岸と左岸

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伊勢湾や濃尾平野の周囲には、新第三紀中新世後期~第四紀更新世前期にかけて、湖や河川の流域に堆積した礫・砂・泥などが積み重なる地層(東海層群)が分布します。この地層は当時形成された東海湖と呼ばれる湖などに堆積したものです。この湖は150万年前くらいになるとかなり縮小し、100万年前ぐらいになると消滅したようです。その湖の縮小・消滅の時期に形成された堆積物が東海層群の上部層で、南宮山の周囲や上石津町などに分布しています。 南宮山の北麓にある不破高校の南西には、礫・砂・泥などの地層が分布します。不破高校の南西に動物止めと思われる柵がありますが、そこから南へ50mほどのところで谷(笹石子谷)に下りて、上流に向かうと左岸や右岸に露頭があります。礫層や砂層などが見られます。調査によると、破損の少ない多くの種類の植物化石が含まれていることがわかっているようです。また、砂層内には、斜交葉理とよばれる斜めに筋が見られる堆積構造を示す部分があり、水流のある堆積環境で形成された地層であることを物語っています。 写真が四種類ありますが、上の写真は右岸で見られる露頭を北西からパノラマで撮ったもので、中上の写真は上の写真の中央部分を撮ったものです。白っぽい35cm前後の層厚をもった地層はシルト~砂からできていて、その上下の褐色の地層は礫層からなっています。中下の写真は、礫層に近づいて撮ったものです。下の写真は、上の写真の場所から下流に進んだ左岸の露頭を南東から撮ったもので、ハンマーの位置の下方に斜交葉理が見られます(この写真では確認できませんが)。中上と中下、下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

「すべらない砂甲子園」全国大会に岐阜県代表で出場します!

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「すべらない砂甲子園」とは 国立研究開発法人海洋研究開発機構( JAMSTEC )の研究に欠かせない「砂」の世界をより身近に、そしてよりディープに知ることができる一大イベントです。全国津々浦々にある砂が戦い「一番すべらない砂」=「最強の砂」を決定する室内実験的格闘競技大会です。          

県内美濃地方編 その73 西濃地域8 上石津町須城谷東海層群多良累層 :大垣市上石津町上多良須城谷左岸

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    伊勢湾や濃尾平野の周囲には、新第三紀中新世後期から第四紀更新世前期にかけて、湖や河川の流域に堆積した礫・砂・泥などが積み重なる地層が分布します。東海層群と名付けられていますが、この地層は当時形成された東海湖と呼ばれる湖などに堆積したものです。この湖は知多半島南部付近で発生し、次第に北西に拡大していきました。最大期には、現在の琵琶湖の6倍ほどもあるとても大きな湖だったようです。長い年月にわたり、多くの流れ込んでいる河川によって、大量の土砂と生物の遺骸が運び込まれて堆積しました。やがて湖は、第四紀更新世前期に大垣市の西方である南宮山の周囲や上石津町などで消滅したと考えられています。この須城谷に露出している地層は、東海層群の上部層で、おもに青灰色の砂泥互層からなり、礫層や砂層をはさみます。火山灰層もいくつかはさまれ、それぞれの場所の地層の対比に役立つ鍵層となっています。 写真が四種類ありますが、上の写真は上石津町の須城谷の左岸の露頭を南東からパノラマで撮ったもので、中上の写真は上の写真の中央右側を縦長で撮ったものです。中下の写真は、同じく上の写真の中央右側を撮ったものです。いずれの写真も白く横方向に延びているのが火山灰層です。下の写真は、その火山灰層の一部を近づいて撮ったものです。中下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、写真の下部にある白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その72 西濃地域7 海津市南濃町盤若谷の砂岩 :海津市南濃町太田盤若谷右岸側トラック出入道路ゲート付近

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海津市南濃町安江、太田には盤若谷の下流部にできた扇状地が広がっています。盤若谷の河道が扇状地の中央部にあり、河床が周囲の土地よりも高いため、天井川になっています。そのため、南北に走っている国道258号と近鉄養老線は、盤若谷川の下をくぐっています。 盤若谷の右岸を上流に向かって900mほど進んだところに道路ゲートがあり、その付近に砂岩が露出しています。奥には、山腹に巨大な採石場が見られます。露出する砂岩は、均質で塊状の砂岩で、級化層理などの堆積構造は見られないようです。砂岩の粒は細粒~中粒です。養老山地の主体を占める美濃帯堆積岩類の中で、かなり広い範囲に分布しています。 写真が四種類ありますが、上の写真は砂岩の露頭を北からパノラマで撮ったもので、中上の写真は上の写真の中央左側を撮ったものです。真中の写真は、砂岩に近づいて撮ったものです。中下の写真は、砂岩を接写したもので、写真の縦は3cmです。下の写真は、国道258号が盤若谷川の下をトンネルでくぐるところを北側から撮ったものです。中上と真中の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の●を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。  

県内美濃地方編 その71 西濃地域6 養老町養老の滝のチャート層

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   養老の滝は養老公園内にあり、落差約32m、幅約4mの滝です。滝を構成している岩石は、直接近づいて見れないのではっきりとはわかりませんが、滝の近くに露出している岩石や滝に向かう遊歩道沿いの万代橋脇に露出している岩石からすると、美濃帯堆積岩類のチャート層だと考えられます。 チャートは、海底に堆積したガラス質の殻をもった微生物(放散虫など)が堆積し、固まった岩石です。ガラス質のものがくっつき、固まったものであるため、硬く浸食されにくい岩石です。しかし、ガラスが割れやすいようにもろく、縦横に割れ目が多く入っています。そのため、段差ができやすくそこに水が流れると滝になります。 写真が四種類ありますが、上の写真は養老の滝を北からパノラマで撮ったもので、中上の写真は滝の部分を撮ったものです。中下の写真は滝の下部を撮りました。下の写真は遊歩道沿いの万代橋脇に露出しているチャート層を南から撮ったものです。中上と中下、下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、写真の下にある白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その70 西濃地域5 揖斐川町久瀬日坂川右岸の貝月山花崗岩と貫入岩 :揖斐郡揖斐川町久瀬温泉西の日坂川右岸

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    貝月山花崗岩は、貝月山(標高1 , 234m)周辺に南北約14km、東西約11 . 5kmの規模で分布する花崗岩体で、西濃地域の国見岳スキー場、揖斐高原スキー場は貝月山花崗岩体の斜面を使ったスキー場です。調査によると、貝月山花崗岩体中に規模は小さいですが、様々な貫入岩があるようです。県道40号を揖斐高原スキー場に向かって進むと、揖斐川町久瀬日坂に温泉施設があります。その温泉施設から100m弱のところに上栃江橋があります。そこから日坂川上流15mほどの右岸(対岸)に露頭が見えます。白っぽく見える貝月山花崗岩に、黒っぽい貫入岩が入っているのがわかります(下の写真)。 写真が五種類ありますが、上の写真は日坂川右岸の露頭を北西からパノラマで撮ったもので、中央左側や中央下部、右側に黒っぽく写っているのが貫入岩です。淡褐色をしているのが花崗岩です。中上の写真は、上の写真の左側に写っている貫入岩の一部を西から撮ったものです。真中の写真は花崗岩と貫入岩の境界を近づいて撮ったもので、黄色のスケールは20cmです。中下の写真は花崗岩を接写したもので、写真の縦は5cmです。下の写真は道路(県道40号)から撮りました。中上と真中、下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下部の白丸または黒丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その69 西濃地域4 揖斐川町春日国見岳スキー場の貝月山花崗岩の風化 :揖斐郡揖斐川町春日国見岳スキー場駐車場

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貝月山花崗岩は、岐阜・滋賀県境付近にある貝月山(標高1 , 234m)周辺に南北約14km、東西約11 . 5kmの規模で分布する花崗岩体です。花崗岩は本来堅固な岩石ですが、風化してばらばらになり砂粒や小さな礫などになりやすい岩石です。 花崗岩は、同じような大きさの鉱物が互いに密着してできています。気温変化などによってそれぞれの鉱物がわずかに膨張・収縮を繰り返しますが、鉱物によってその度合いが異なり、また同じ鉱物でも方向によって異なるため、鉱物単位でひずみが生じ、結合がはがればらばらになり、砂粒を生成することになります。このばらばらになった粒をマサ(真砂)と呼びます。また、花崗岩を構成している主要鉱物の一つである長石は粘土鉱物になりやすいため、鉱物自体がくずれてしまうこともあります。 国見岳スキー場駐車場では、かなり広範囲に風化した花崗岩が露出しています。ほとんどの花崗岩が風化のためマサ化していて、硬く見える部分でもハンマーでたたくと鈍い音がしてくずれてしまいます。 写真が四種類ありますが、上の写真は国見岳スキー場の奥の駐車場の花崗岩の露頭を南東からパノラマで撮ったもので、中央左側を縦長に撮ったものが中上の写真です。左側に写っているスケールは1mです。中下の写真は、中上の写真とほぼ同じ場所を撮ったものです。下の写真は上の写真の中央部を東から撮ったもので、スケールは同じく1mです。中下と下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下部の●を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。