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県内美濃地方編 その45 七宗町・白川町周辺1 七宗町飛騨川左岸の上麻生礫岩 :加茂郡七宗町中麻生野々古屋飛騨川左岸

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    国道41号の中麻生交差点を東に曲がり、町道を飛騨川対岸(左岸)に渡り、橋から北へ200mほど進むと、上麻生礫岩の石碑と説明板、小さな駐車場があります。そこから飛騨川へ下りる階段がありますので、河床へ下りると暗灰色の砂岩泥岩互層が分布しています。少し上流へ進むと、礫岩の露頭があります。調査によると、上麻生礫岩は砂岩泥岩にはさまれた4層の礫岩層として、厚さ3~10mで分布しているようです。礫の大きさは数cmのものが多く、最大で30cmにもなっていたようです。礫の種類は、調査によると砂岩、泥岩、チャート、石灰岩などの亜角礫~亜円礫と、花崗岩、片麻岩、ヒン岩、安山岩、オーソコーツァイトなどの円礫からなっていて、大きさは不揃いです。これらの礫のうち、片麻岩礫が約20億年前という年代値を示すことが1970年(昭和45年)に明らかにされました。この年代が、その当時日本最古の年代値であったため有名になりましたが、その礫は採取されて見ることはできませんし、礫岩層は中生代のジュラ紀後期に形成したものなので、礫岩自体は日本最古の岩石ではありません。 写真が四種類ありますが、上の写真は礫岩層を北東からパノラマで撮ったもので、中上の写真は上の写真の中央右側を撮ったものです。中下の写真は東から撮ったもので、近づいて撮ったものが下の写真です。中上と中下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、写真の下にある●を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その44 恵那市・中津川市周辺11 中津川市付知町の阿寺断層 :中津川市付知町大門付近

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   阿寺断層は全国でも屈指の活断層の一つで、中津川市坂下や付知町などで崖として直接確認することができます。付知町では、大門から倉屋にかけて断層崖が連続して見られます。大門には阿寺断層の説明看板がありますが、その東に見られる約8mの高まりが、断層によってずれてできた崖です。そこから高さ約10mで北西へ真っすぐに延びる崖が約1000m続き、北東側が高くなっています。そのため、断層崖の西から見ると直線的に崖が続いているのがわかります。 断層運動によって片方が高くなるため、低い方には土砂がたまりやすく、断層崖の高さは実際のずれよりも低くなっています。付知町倉屋の倉屋神社西方で、溝(長細い穴)を掘って調べるトレンチ調査が行われています。その結果、断層を境にして垂直方向に少なくとも17 . 5mもずれており、この断層崖 は約1万2000年前から何回かの地震によって形成されたことがわかっています。 写真が四種類ありますが、上の写真は付知町大門にある阿寺断層の説明看板とその東の断層崖を南から撮ったものです。中上の写真は、断層崖を西からパノラマで撮ったもので、写真の右端に説明看板の裏側が写っています。中下の写真は説明看板の北西600mほどのところにあるポスト周辺を西から撮ったもので、ポストの左側(ポストのうしろ)に写っているのが断層崖です。下の写真は、大門の説明看板から1kmほど北西にある倉屋の断層崖をパノラマで南西から撮りました。左端に写っているのが倉屋神社です。上と中下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下にある白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その43 恵那市・中津川市周辺10 中津川市坂下の阿寺断層 :中津川市山口の弥栄ループ橋からの眺望、中津川市坂下国民健康保険坂下病院の北側

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  岐阜県には、全国でも屈指の活断層が3つあります。その1つが全長約70kmの阿寺断層で、中津川市馬籠付近から下呂市萩原町の北方まで、南東-北西方向に延びます。阿寺断層は、中津川市坂下や付知町など何ヶ所かで崖として直接確認することができます。 坂下の平地部は、4段ほどの段丘面からなり、そこを断層が横切っています。そのため、坂下には段差が何段もあり、崖や坂が多い町です。1960年代に河岸段丘と断層との関係が詳細に調査され、日本ではじめて活断層の様子が明らかにされた地域です。坂下と山口の間を流れる木曽川にかかっている弥栄橋の東の弥栄ループ橋から北西を眺めると、弥栄端の東辺りから山の鞍部(低くなった部分)に向かって断層が直線的に延びているのがわかります。直線的に延びる断層の途中に坂下病院が見えますが、その北東側を阿寺断層が通っており、その地点に「阿寺断層活動跡」の表示があります。その表示の東を断層が通っていて、北東側が5mほど高くなり崖になっているのがわかります。 写真が四種類ありますが、上の写真は弥栄ループ橋から坂下の町を撮ったものです。黄色の矢印が阿寺断層の位置を示しています。中上の写真もループ橋から坂下の町を撮ったものです。中下の写真は阿寺断層が通っている坂下病院の北東で南東側から撮ったもので、写真の左側に縦長で写っているのが 「阿寺断層活動跡」の表示です。表示が立っている左側の地面は低く、石垣を隔てて右側の上に家が建っています。石垣のあたりが断層崖です。下の写真に写っている道路は、坂下病院の東にある道路で北西-南東に延びていますが、断層崖沿いの道路です。石垣やその上のコンクリートの壁が断層崖です。中上と中下、下の写真は 同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。  

県内美濃地方編 その42 恵那市・中津川市周辺9 中津川市下野の上野玄武岩 :中津川市下野東組国道256号沿いの露頭

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   国道256号の中津川市「下野交差点」から、国道256号を椛ノ湖方面(東)へ向かい、約1 . 8kmのところ(北東側)に露頭があります。上野玄武岩と呼ばれる玄武岩質溶岩が露出しています。中津川市坂下(旧坂下町)北~西部には、木曽川からの比高が120~180mの台地(上野台地)があり、厚さ100mほどの玄武岩質溶岩が分布しています。玄武岩質溶岩は粘り気が小さいため、平らな台地状の地形を形成することが多いです。上野玄武岩は約140万年前に噴出した溶岩で、細粒で緻密な灰色をした岩石です。割れた面を見ると、一定方向に白い筋が並び、溶岩が流れたことを示す構造(流理構造)が見られます。玄武岩質溶岩は風化すると、比較的に多く含まれている鉄やマグネシウムの成分が雨水などによって溶け出します。そのため、土壌が赤~紫っぽい色になります。上野台地では暗赤褐色の土壌が各地で見られます。 写真が四種類ありますが、上の写真は国道256号沿いの露頭を西側からパノラマで撮ったもので、その上の写真の中央右側を撮ったものが中上の写真です。中下の写真は玄武岩を接写したもので、写真の縦は3 . 5cmです。下の写真は暗赤褐色の土壌を撮ったもので、 下野交差点から国道256号を椛ノ湖方面(東)へ向かい約2 . 3kmのところ(玄武岩の露頭のさらに500mほど東へ進んだところ)で撮影しました。 中上の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、写真の下の白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その41 恵那市・中津川市周辺8 中津川市高山知原橋下の岩山花崗閃緑斑岩 :中津川市高山知原橋下付近付知川左岸河床露頭(高山大橋の北)

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県道408号中野方苗木線は、恵那市中野方から中津川市苗木に至る県道ですが、中津川市高山(旧恵那郡福岡町)で、付知川を渡ります。その橋が高山大橋ですが、その北側に知原橋という赤い橋があり、その橋下周辺に 花崗閃緑斑岩が露出しています。この花崗閃緑斑岩は、旧福岡町の西端にある岩山(標高932m)を中心に長径約9km、短径約2kmという細長い分布を示し、濃飛流紋岩を貫いています。花崗閃緑斑岩というのは、花崗斑岩の仲間で、 一般には ガラス質または細粒の結晶からなる石基の中に、大きな結晶(斑晶という)が入っている岩石です。花崗斑岩であれば石英や長石(斜長石やカリ長石)、黒雲母などの結晶が含まれますが、 黒雲母や角閃石などの有色鉱物や斜長石に富み、石英の少ないものに対して花崗閃緑斑岩という名称が使われます。この花崗閃緑斑岩は、濃飛流紋岩をもたらした火砕流が流出した出口付近を埋めるようにあとからマグマが入り込み、それが固結したものと考えられています。そのマグマは、先に噴出した大規模な火砕流のもとになったマグマの残りもの、または最後に噴出しようとしたマグマが噴出しきれずに地中で固結したものに相当するようです。 写真が四種類ありますが、上の写真は知原橋下付近の左岸河床露頭を北西側からパノラマで撮ったもので、その上の写真の左側を撮ったものが中上の写真です。中下の写真は、花崗閃緑斑岩を接写したもので、長方形をした斜長石の大きな結晶が入っているのがわかります。写真の縦は4cmです。下の写真は河床露頭を北東から撮ったもので、上部に写っているのが知原橋の一部です。中上と下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の●を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その40 恵那市・中津川市周辺7 中津川市付知峡不動滝周辺の濃飛流紋岩 :中津川市付知町下浦付知峡観音滝・不動滝

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    付知峡観音滝・不動滝周辺は濃飛流紋岩が分布しています。濃飛流紋岩の大部分は大規模な火砕流によってできた溶結凝灰岩で、基本的にはほぼ均質な非常に厚い板状の堆積物を形成しています。そのような均質な非常に厚い板状の堆積物の単位を火山灰流シートと呼びますが、付知峡観音滝・不動滝周辺は下呂火山灰流シートからなっているようです。 柱状節理は、液体状のものが冷却によって固体になるときの体積収縮によって、岩石にできる柱状の割れ目です。溶岩でしばしば起こる現象ですが、火砕流堆積物の場合でも起こり、溶結凝灰岩では形成されやすいようです。観音滝・不動滝では、柱状節理による崖の形成によって、そこを水が流れ落ちています。 写真が四種類ありますが、上の写真は観音滝の全体を南西から縦長で撮ったもので、中上の写真は手前の溶結凝灰岩の露頭も入れて、観音滝をバックに南西から撮ったものです。手前の露頭にある黄色のスケールは20cmです。中下の写真は、上から不動の滝を見下ろして撮ったものです。下の写真は溶結凝灰岩を接写したもので、写真の縦は2cmです。中上と中下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下にある白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その39 恵那市・中津川市周辺6 中津川市坂下木曽川右岸の濃飛流紋岩の溶結凝灰岩 :中津川市坂下西方寺木曽川右岸

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濃飛流紋岩は非常に広い範囲に分布し、岐阜県の面積の約1/4を占めます。そして、どこでもほぼ同じような見た目をした岩石からなります。濃飛流紋岩の大部分は大規模な火砕流によってもたらされた堆積物で、火山灰や鉱物、軽石などが自分の重さや保持された熱によって、互いに密着してくっつき、堅固な岩石になっています。それを溶結凝灰岩と呼びます。濃飛流紋岩中の溶結凝灰岩は、厚さ200m~700mで、20km~60kmの広がりをもち、基本的にはほぼ均質な非常に厚い板状の堆積物を形成し、そのような単位を火山灰流シートと呼んでいます。濃飛流紋岩は10枚ほどの火山灰流シートに区分されています。中津川市坂下西方寺の木曽川沿いに分布する濃飛流紋岩は下呂火山灰流シートと呼ばれるもので、濃飛流紋岩の中でも広範囲に分布する岩石です。火山灰流シートは、マグマだまりの中ですでに結晶化していた鉱物とその間を埋めていた液体が噴出し、粉々に砕かれるとともに空気中で急冷され固化し、それが移動し堆積したものです。中には、鉱物とその間を埋める液体が砕かれずにまとまったもの(本質岩片)が飛び散って堆積することがあります。溶結凝灰岩の場合、その本質岩片も堆積方向につぶされ固化しています。そのため、断面で見るとレンズ状になり(本質レンズと呼ぶことがあります)、かつ同じようにつぶれた本質岩片がいくつも同じ方向につぶれているのです。 写真が五種類ありますが、上の写真は木曽川右岸の濃飛流紋岩の露頭を南からパノラマで撮ったもので、その上の写真の中央左側を撮ったものが中上の写真です。真中の写真は、本質岩片がレンズ状になって集まっているところを南西から撮ったもので、その一部を拡大したものが中下の写真です。写真の縦は18cmで、暗灰色でレンズ状になっているものが本質岩片です。下の写真は溶結凝灰岩の本質岩片以外の部分を接写したもので、縦は4cmです。中上と真中の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下部にある●を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その38 恵那・中津川周辺5 恵那市山岡町原の土岐砂礫層 :恵那市山岡町原の南~南東の大露頭(自主運行バス下沼バス停の南東100mほど)

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岐阜県の東濃地域から中濃地域にかけて、丘陵地や高原に広く土岐砂礫層が分布します。主に礫層からなり、砂層、粘土層、火山灰層がしばしばはさまっていますが、広い範囲に分布することもあって、場所によって礫の種類に差があります。堆積年代はまだ明確にはなっていないようですが、新第三紀鮮新世(500万年前~300万年前)頃に堆積したようです。 ここの礫層は数cm~10cm径ほどの亜円礫~円礫からなりますが、砂層やシルト層がレンズ状にはさまれています。礫の種類はチャートが多く、ほかには濃飛流紋岩の溶結凝灰岩、美濃帯堆積岩類の砂岩や泥岩などです。チャートは硬いままですが、それ以外の礫は風化して柔らかい状態になっています。 ま 写真が四種類ありますが、上の写真は土岐砂礫層の露頭を北西からパノラマで撮ったもので、中上の写真は上の写真の中央左を撮ったものです。中下の写真は、上の写真の真中あたりを縦長に撮ったものです。3枚に写っている白いスケールは1mです。下の写真は近づいて撮ったもので、黄色のスケールの長さは20cmです。中上と下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、写真の下にある黒丸または白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その37 恵那市・中津川市周辺4 恵那市山岡町牧の新第三紀層である遠山層 :恵那市山岡町牧の東露頭

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 新第三紀層である瑞浪層群は、東濃地方では恵那市山岡町から岩村町、中津川市阿木にかけて分布し、岩村層群と呼ぶこともあります。この岩村層群は、下位から湖ないしは浅海に堆積した阿木層、海に堆積した遠山層に分けられます。明知鉄道の山岡駅から南の牧地区に向かう谷沿いに遠山層が分布しています。山岡駅の南の線路を東へ渡り、南へ800mほど進むと東側の山際に崖(露頭)が見えます。見える露頭は遠山層で、地層がほぼ水平(南に緩く傾斜)に広がっていて、灰白色から灰色の細粒砂岩や凝灰質泥岩(凝灰質シルト岩)などからなっています。これらの堆積物の中に2枚の凝灰岩層がはさまれているのがわかります。露頭の下部に暗灰色~黒色の10cm~30cm厚さをもった粗粒の凝灰岩があります。また、その1m弱上に1m~2 . 5mの厚さをもった灰色の凝灰岩層があります。 写真が四種類ありますが、上の写真は露頭を西からパノラマで撮ったもので、上の写真の左側下部を撮ったものが中上の写真です。中下の写真は同じ場所を縦長に撮ったもので、下の黒っぽい層と上の灰色の層が凝灰岩です。左に写っている白いスケールは1mです。上の凝灰岩層は厚いため上部はこの写真には写っていません。下の写真は、上の写真の場所から北へ200mほど進んだところで見られる露頭です。南西から斜めに撮ったものです。中上と下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、写真の下にある白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その36 恵那市・中津川市周辺3 恵那市岩村町に分布する濃飛流紋岩とそれを貫く伊奈川花崗岩 :恵那市岩村町上切徳祥寺入口南の支流河床露頭

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  岩村町地域は巨大な分布域をもつ濃飛流紋岩の最南端にあたり、濃飛流紋岩の最初の活動期に属する溶結凝灰岩が分布します。また、伊奈川花崗岩はこの地域より南に広く分布し、さらに長野県まで分布するという巨大な岩体です。岩村町上切地域で2つの巨大な岩体が接し、伊奈川花崗岩が濃飛流紋岩に貫入しています。それが 岩村町上切の徳祥寺入口南の支流河床で見られます。 写真が四種類ありますが、上の写真は濃飛流紋岩と花崗岩の接触部付近を南東から撮ったもので、その上の写真の中央右側を撮ったものが中上の写真です。中下の写真は、上の写真で伊奈川花崗岩と記入してあるところのすぐ下の部分を東から撮ったものです。下の写真は2つの岩石を接写したもので、左が濃飛流紋岩、右が伊奈川花崗岩です。両方とも写真の縦はほぼ4cmです。中上と中下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その35 恵那市・中津川市周辺2 恵那峡の苗木花崗岩 :恵那市大井町~中津川市蛭川 恵那峡

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   岐阜県の南東部に分布する苗木花崗岩は、中生代の白亜紀後期~古第三紀に起きた大規模なマグマの活動により形成された花崗岩体の一つです。木曽川沿いの恵那峡の岩壁はこの花崗岩でできています。花崗岩はマグマが地下でゆっくり冷やされ固まった岩石であり、固化する際に体積が縮み、そのために立方体や直方体の割れ目ができます。その割れ目を方状節理とよびます。恵那峡で見られる崖や直方体の巨大岩は、花崗岩の方状節理によって形成されたものです。 写真が四種類ありますが、上の写真は恵那峡大橋の北東にある休憩所から南側をパノラマで撮ったものです。中上の写真は上の写真の左側の花崗岩を、中下の写真は上の写真の右側の花崗岩(恵那峡大橋周辺)を撮ったものです。下の写真は休憩所の北側にある花崗岩を撮ったものですが、方状節理によって割れ、かつ表面の風化によって独特な丸みをもっています。中上と中下、下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の黒丸または白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その34 恵那市・中津川市周辺1 恵那市の傘岩、千畳敷岩(花崗岩) :恵那市大井町傘岩、千畳敷岩

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  岐阜県の中津川市から恵那市にかけての広い地域には、苗木花崗岩と呼ばれる花崗岩が分布します。この花崗岩は、中生代白亜紀後期の濃飛流紋岩の活動に引き続いて形成された花崗岩類の一つです。恵那市大井町の恵那峡周辺で見られる傘岩、千畳敷岩はこの花崗岩でできています。花崗岩はマグマがゆっくり冷え固まったことで、同じような大きさの鉱物が結晶化して全体を埋めている(等粒状完晶質)ため、気温の変化などで膨張と収縮を繰り返すことによって、鉱物単位でばらばらになってしまうことがあります。ばらばらになった粒をまさと呼び、ばらばらになって粒状になることをまさ化といいます。花崗岩は本来堅固な岩石ですので、ばらばらになっていない部分は硬く残り、ばらばらになっている部分は砂粒や小さな礫などになり、雨水などで流れて移動します。傘岩の北側に見られる千畳敷岩は全体が硬く残っています。一方、傘岩はほとんどがまさ化して、きのこ状に残っています。傘岩の上部表面と千畳敷岩の表面は硬く残っていて、見た目も似ています。かつての地面だと考えられます。傘岩の西側に駐車場がありますが、削られた斜面(露頭)では花崗岩が風化してまさ化しているのがわかります。 写真が四種類ありますが、上の写真は傘岩を南から、中上の写真は傘岩を北から撮ったものです。中下の写真は傘岩の西側にあたる駐車場の一部を撮ったもので、花崗岩が風化してまさ化している露頭です。下の写真は、傘岩の北東にある千畳敷岩を西から撮ったものです。いずれの写真も同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の白丸や黒丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その33 土岐市・瑞浪市周辺7 多治見市笠原町花水樹ふれあいパーク内の土岐砂礫層 :多治見市笠原町上原花水樹ふれあいパーク内の露頭

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    土岐砂礫層は、岐阜県の東濃地域から中濃地域にかけて、丘陵地や高原に広く分布します。主には礫層からなり、砂層、粘土層、火山灰層がしばしばはさまっています。礫層に含まれる礫は、かなり広い範囲に分布していることもあって、場所によって礫の種類に差異があります。全体的には、10 cm 前後の径をもつ濃飛流紋岩や数 cm ~20 cm の径をもつチャート・泥岩・砂岩が主体で、ほとんどが丸みを帯びた礫からなります。 花水樹ふれあいパーク内の露頭では、1 cm ~10数 cm 径の円礫が多く、かなり多くがチャートです。 堆積年代はまだ明確にはなっていないようですが、新第三紀鮮新世(500万年前~300万年前)頃に堆積したようです。     写真が四種類ありますが、上の写真は花水樹ふれあいパーク内の露頭を南からパノラマで撮ったもので、中上の写真は上の写真の中央左を南から撮ったものです。小さくて見にくいですが、中上の写真の中央少し左に写っているスケールの長さは1mです。中下の写真は近づいて撮ったもので、下の写真は違う場所を近づいて撮ったものです。黄色のスケールの長さは20 cm です。中上と中下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、写真の下にある●を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県内美濃地方編 その32 美濃加茂市・可児市周辺16 御嵩町みたけの森内の平牧層の露頭(流路堆積の痕) :可児郡御嵩町南山の南山トンネル西からみたけの森へ続く林道沿いの露頭(入口から100m強進んだ左側)

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    前回は瑞浪市の日吉小・中学校西側で見られる流路の堆積の痕を紹介しましたが、同じように凝灰質の堆積岩層を掘り込んで堆積したと思われる流路の堆積の痕が御嵩町の平牧 層で見られますので紹介します。国道21号可児御嵩バイパスの南山団地入口交差点を南進し、約1 . 0kmのところで南山トンネルが見えます。トンネルの手前から右手に南へ入る細い道がありますので、そこを50mほど進むと、切通しになっていて道の両側に巨岩塊を含む凝灰岩の露頭があります(県内美濃地方編その20美濃加茂市・可児市周辺10で紹介)。そこからさらに60mほど進むと、左側に露頭があります。露頭全体は凝灰質砂岩、凝灰質泥岩などからなっていますが、砂岩泥岩互層を掘り込んだ形で凝灰質泥岩が堆積しているのがわかります。   写真が三種類ありますが、上の写真は流路の痕と思われるところをパノラマで南西から撮ったもので、その中央部分を撮ったものが真中の写真です。下の写真は同じ場所を斜めから(南から)撮ったものです。真中と下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、写真の下にある白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。