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県外編 京都府 その11 京都府で見られる柱状節理の玄武岩(やくの玄武岩公園) :京都府福知山市夜久野町小倉やくの玄武岩公園

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   京都府福知山市夜久野町小倉の玄武岩質溶岩は、府指定の天然記念物に指定されていて、やくの玄武岩公園として整備されています。この玄武岩質溶岩は、京都府内唯一の第四紀火山の田倉山(宝山)から噴出した溶岩で、柱状節理が露出しており、自然の造形美を見ることができます。「県外編その10」で紹介しましたが、柱状節理は 液体であるマグマが冷却して固体になるときに体積が小さくなるために、規則正しい割れ目ができたものです。基本的には六角形の柱状になるように割れ目が入っています。 写真が四種類ありますが、上の写真は公園内の玄武岩質溶岩の柱状節理を南から撮ったもので、中上の写真は上の写真の西側にある玄武岩質溶岩を南から撮ったものです。中下の写真は駐車場の南側にも同様の溶岩が見られるので、北から撮ったものです。下の写真は柱状節理の大きさがわかるように、公園名の石碑の隣に設置してある柱状の玄武岩を撮ったものです。黄色のスケールは20cmです。いずれの写真も同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下の●を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県外編 兵庫県 その10’ 青龍洞、白虎洞、朱雀洞(南朱雀洞、北朱雀洞) 玄武洞公園その2 :兵庫県豊岡市赤石玄武洞公園

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玄武洞公園には、玄武洞のほか、青龍洞、白虎洞、朱雀洞(南朱雀洞、北朱雀洞)が整備されています。 玄武洞公園の玄武岩が有名なのは、柱状節理による自然の造形美だけではありません。有名にしたもう一つの出来事は、ここの玄武岩を使って地球の磁場が過去に反転していたことが見つけられたことです。昭和のはじめ頃に、京都帝国大学(当時)の教授によってここの玄武岩のもつ磁気(残留磁気)が現在の地磁気と反対の向きを指していることが発見されました。玄武岩が冷え固まる時の地磁気の向きが現在とは反対であり、過去の地球の磁場に反転した時期があったことが発表されたのです。 写真が四種類ありますが、上の写真は青龍洞の正面を南から撮ったもので、中上の写真は同じ洞の右側を撮ったものです。青龍洞では縦に長い柱状節理や、曲がった柱状節理を見ることができます。中下の写真は白虎洞を西から撮ったもので、下の写真は南朱雀洞を北西から撮ったものです。白虎洞は玄武洞や青龍洞に比較すると規模は小さいですが、水平に近い方向に伸びた柱状節理とその断面が見られます。南朱雀洞では柱状節理に近づいて見ることができます。いずれの写真も同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下の黒丸や白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県外編 兵庫県 その10 玄武岩の名前の由来となった玄武洞 玄武洞公園その1 :兵庫県豊岡市赤石玄武洞公園

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   兵庫県豊岡市の玄武洞には5つの洞があり、公園として整備されています。マグマが冷え固まった岩石である火成岩の中に玄武岩という名称がありますが、この名称は明治時代において岩石の日本名を制定するときに、玄武洞の名にちなんで命名されました。 玄武洞公園一帯では、約160万年前に噴出した玄武岩質マグマが冷えて固まり、玄武岩質溶岩の厚い層が形成されました。液体であるマグマが冷却して固体になると体積が小さくなる(縮む)ために、冷え固まった溶岩内に規則正しく隙間ができ、それが割れ目となります。その割れ目によって、溶岩は基本的には六角形(五~八角形のものもあり)の柱状となりました。それを柱状節理と呼びます。玄武洞公園の溶岩は柱状節理による自然の造形美が見事です。洞窟になっているのは、人が石材として使うために採掘し、その採掘跡が洞窟として残っているためです。 写真が四種類ありますが、上の写真と中上の写真は、玄武洞を正面から(西から)撮ったものです。中下の写真は正面の洞窟の左側を、下の写真は右側を西から撮ったものです。いずれの写真も同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下の●を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。        

県外編 山梨県 の9 富士山の溶岩中に作られたトンネル状の溶岩洞(富岳風穴) :山梨県富士河口湖町青木ヶ原

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   富岳風穴は山梨県富士河口湖町の青木ヶ原にある溶岩洞で、周辺にいくつかある溶岩洞のうちで最大のもののようです。富岳風穴は貞観噴火と呼ばれる西暦864年~866年(貞観6年~8年)に富士山北西麓で噴出した溶岩中に作られたトンネル状の地形です。溶岩は地面を流れる場合、空気や地面に触れた外側は冷えて次第に固まっていきますが、内部のまだ熱く溶けている部分は流れ去ってしまいます。そのため、外側だけが固まって残り、トンネル状の空洞ができるのです。このようなトンネル状の地形は玄武岩のような粘性の低い(サラサラの状態)溶岩でなければできません。 また、富岳風穴の内部に見られる縄状溶岩も粘性の低い溶岩が流れたからこそできたものです。縄状溶岩は、溶岩の表面が太い縄を束ねたような形で固まっている溶岩です。粘性の低い溶岩が流れる際、表面が冷えてやや固結ししわになったためにできたものです。 写真が四種類ありますが、上の写真は富岳風穴の入口近辺にある表示板を撮ったもので、中上の写真は入口を撮ったものです。中下の写真は富岳風穴の内部奥の縄状溶岩の部分を撮ったもので、下の写真はほぼ同じ場所で少し手前を撮ったものです。ただし、大きさがわかるようにスケールとなるシャープペン(約15cm)が白丸の左上に写っています。中下と下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下の白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県外編 山梨県 その8 花崗岩でできている昇仙峡 :山梨県甲府市高成町昇仙峡

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   昇仙峡(特別名勝としての指定名称は御嶽昇仙峡)は、富士川の支流である荒川の上流およそ5km(長潭橋~仙娥滝)にわたる渓谷です。一帯には新第三紀に形成された花崗岩が分布し、節理に沿って浸食され、両岸が切り立った崖に囲まれた深い谷となっています。昇仙峡の上流部には覚円峰がそびえ、覚円峰の向かいには天狗岩という ゴツゴツした岩肌の山があります。滑らかな岩肌を持つ覚円峰とは対照的な眺めです。 写真が四種類ありますが、上の写真は静観橋( 仙娥滝の上流の橋 )の北から覚円峰を望遠で撮ったもので、中上の写真は手前に見える天狗岩と呼ばれる岩と奥に見える覚円峰を撮ったものです。この中上の写真では手前の天狗岩はゴツゴツした岩肌で、奥に見える滑らかな岩肌の覚円峰との違いがわかると思います。中下の写真は渓谷中で見られた崩れて落ちた岩石を撮りました。節理に沿って柱状に割れて落ちた花崗岩だと思います。下の写真は荒川にかかっている 仙娥滝で、正面から撮ったものです。 滝に近づいて南東から撮りました。いずれの写真も同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下の白丸や黒丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県外編 静岡県 その7 溶岩と泥流堆積物がつくり出すカーテン状の滝(白糸の滝) :静岡県富士宮市上井出・原

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   静岡県の白糸の滝は、高さ20mほどの垂直に近い壁から流れ落ちる幾筋もの水でつくるカーテン状の滝で、幅150mほどに広がっています。この滝は、川の流れがそのまま落ちて滝になっている部分以外は、多くの水が崖の岩の隙間から落下しています。下に水を通しにくい地層(不透水層)があり、その上に水を通す地層がある場合、水(地下水)は上の地層に蓄えられながら流れます。そして、その流れの先に崖がある場合は2つの層の境目に近いところで水は落下します。この白糸の滝はそのような滝で、崖の下部は泥流堆積物などからできていて、水を通しにくいようです。一方上部は、玄武岩質の溶岩でできていて、多孔質であるため水を通すことができるのです。 写真が四種類ありますが、上の写真は白糸の滝を撮ったもので、中上の写真は近づいてやや望遠で撮ったものです。中下の写真は少しはなれて白糸の滝を撮りました。下の写真は白糸の滝の南東にある音止めの滝を撮ったものです。いずれの写真も同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下の白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県外編 静岡県 その6 大室山から噴出した溶岩で形成された城ヶ崎海岸 :静岡県伊東市富戸城ヶ崎海岸門脇埼付近

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   城ヶ崎海岸は静岡県伊東市の南南東に位置する海岸で、大室山の噴火によって流れ出した溶岩の一部が海に流れ込み、埋め立てて新しい陸地を作り出すことによってできました。そのため、大部分が荒々しい断崖で、小さな岬と入り江が連続します。溶岩は玄武岩質安山岩溶岩のようですが、表面が赤みを帯びていて、ガサガサで凹凸が多くあります。赤みを帯びているのは表面が酸化したためだと考えられます。また、溶岩の凹凸は溶岩が流れる際に表面は冷え固まり殻ができますが、後から流れてくる溶岩に殻が砕かれるためにできたものだと思われます。 写真が四種類ありますが、上の写真は門脇灯台を望んで南西から撮ったものです。中上の写真は門脇灯台の近くで撮ったもので、右隅に写っているペンの長さは約14 cm です。赤茶色のスコリアまたは溶岩片が溶岩の中に入っています。中下の写真はつり橋の近くで撮ったもので、溶岩の表面がガサガサで凹凸があるのがわかります。下の写真は門脇灯台から北東を望んで撮ったものです。いずれの写真も同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下の白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県外編 静岡県 その5 プリンのような円錐台形をした大室山 :静岡県伊東市富戸先原

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   静岡県伊東市にある大室山は標高580mの火山で、約4000年前の噴火ででき、すり鉢状の火口をもちます。一度の火山活動によってできた火山(単成火山という)で、スコリア丘を形成しました。スコリア丘とは、火山活動によって液体であるマグマが吹き上げられて大気中で冷やされてできた多孔質の黒っぽい岩塊(スコリアという)が、火山の周りに積もってプリンのような形の円錐台形の山を形成したものです。大室山の噴火では、スコリア丘ができただけではなく、スコリア丘の麓から大量の溶岩が流れ出し、伊豆シャボテン公園がある小高い丘を作り出したり、一部の溶岩は海に流れ込み城ヶ崎海岸を作り出したりしました。 写真が四種類ありますが、上の写真はリフト乗り場の近くから、中上の写真は北西から大室山を撮ったものです。中下の写真は城ヶ崎海岸の門脇灯台から撮ったもので、プリンのような形をした大室山の上部が見えます。下の写真は大室山にリフトで登り、すり鉢状の火口を撮ったものです。いずれの写真も同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下の黒丸または白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県外編 静岡県 その4 割狐塚(わりこづか)稲荷神社の溶岩塚(三島溶岩) :静岡県駿東郡長泉町下土狩

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 前回(県外編その3)で紹介した鮎壺の滝は、約1万年前に富士山の噴火によって流れ出した溶岩(三島溶岩)の南西の端にできた滝ですので、滝の北東部には地面の下に溶岩が広がっているはずです。ただし、地面の下は掘らないと見ることができないため、普通は溶岩が見られないのですが、溶岩が盛り上がって見ることができる場所があります。その一つが、滝の東北東500m弱のところ(約450m)にある割狐塚稲荷神社です。 流れる溶岩は1000℃ほどの高温です。しかし、空気や地面にふれている外側の部分はすぐに冷えるため、固まって殻をつくります。一方、内部の溶岩は高温で溶けたままなので、流れているのです。そのため、あとから流れてきた溶岩が外側にできた殻を押して、ドーム状に上に膨らんだ形になります。このようにしてできた岩の盛り上がった部分の一つが割狐塚です。膨らむと表面積が大きくなるため、表面から内部に向かって割れ目ができますが、その大きな割れ目を本殿への参道とし、鳥居がいくつもつくられているのです。 写真が四種類ありますが、上の写真は割狐塚稲荷神社を南から撮ったもので、中上の写真は本殿への参道の一つを東から撮ったものです。中下の写真は本殿近くの溶岩を近づいて東から撮りました。下の写真は溶岩を接写したもので、穴はマグマに含まれていたガス(気体)が抜けてできた穴です。写真の縦は4 . 5cmです。上と中上、中下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下の●を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県外編 静岡県 その3 富士山の溶岩(三島溶岩)の南西端にかかる滝(鮎壺の滝) :静岡県駿東郡長泉町下土狩

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    鮎壺の滝(県指定天然記念物)は黄瀬川にかかる滝で、およそ 1 万年前に富士山から流れてきた溶岩流(三島溶岩)の南西の端にできています。厚さ10mほどの溶岩の下には浸食されやすいローム層が堆積しており、黄瀬川によって下のローム層が削られ、上の硬くて削られにくい三島溶岩が残ったため、段差ができ、滝が形成されたのです。滝の周辺は公園として整備され、南にあるつり橋からは滝が正面に見えます。天気が良い時には富士山も見えます。 写真が四種類ありますが、上の写真は鮎壺の滝をパノラマ的に東から撮ったもので、中央左に見えるのが滝です。中央左から右側の一段高い灰色の部分が三島溶岩と呼ばれる富士山から噴出した溶岩です。中上の写真は北東から川の下流に向かって撮ったもので、下流の先が滝となっています。中下の写真はつり橋から北側の滝を広く撮ったもので、下の写真は滝に近づいて南東から撮ったものです。中上と中下、下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下の黒丸や白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県外編 静岡県 その2 北伊豆地震の痕跡が保存してある火雷神社 :静岡県田方郡函南町田代

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   昭和5年(1930年)11月26日に発生した北伊豆地震(M7 . 3)を引き起こした丹那断層の変位とその時の地震の痕跡を保存してある場所が、丹那断層公園から北方へ車で4 . 3kmほど(直線距離3 . 5km)進んだところにあります。その場所が火雷神社ですが、石造りの鳥居とその先にある石段の間に地震断層が存在したために、断層が左横ずれしたことによって鳥居と石段が1 . 4mほどずれてしまいました。そのため、正面から見て、地震によって柱のみが残った鳥居の正面に石段がなく、石段が左にずれた状態になっています。 写真が三種類ありますが、上の写真は地震によってくずれて柱のみが残った鳥居と石段を東から撮ったもので、鳥居と石段の間に地震断層が左右に通っています。石段は右と左に二基ありますが、右の石段が古いものです。真中の写真はくずれる前の鳥居を推定したものです。下の写真は、鳥居の残った柱に近づいて撮ったものです。上と下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下の●を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

県外編 静岡県 その1 丹那断層の変位がわかる丹那断層公園 :静岡県田方郡函南町畑・乙越地区

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   今まで岐阜県の長良川、板取川、津保川沿いの岩石を紹介してきましたが、前回で終了としました。積雪の時期になって川沿いの岩石の表面が見えにくくなった場所もあります。しばらくの間、県外編として、ここ数年の間に行った地質関係の岐阜県外の見学地を紹介します。また、立体視ができるような写真を掲載します。 岐阜県では、1891年に発生した濃尾地震を引き起こした根尾谷断層が、根尾谷地震断層観察館にて観察できるように整備され、全国的にも有名です。同じように、昭和のはじめ頃に発生した地震を引き起こした断層が展示されているのが、静岡県で見られます。昭和5年(1930年)11月26日に発生した北伊豆地震(M7 . 3)を引き起こした丹那断層を観察できるように整備されたのが丹那断層公園です。この公園では、北伊豆地震において左横ずれ断層によって水路や円形のゴミ捨て場などが約2 . 5mほどずれているのがわかります。また、そのずれの北の延長上の地面が溝状に掘られており(トレンチ)、断層地下観察室として実際の断層による地層のずれがわかるようになっています。1997年3月末に完成したようです。 写真が四種類ありますが、上の写真は丹那断層公園を南から丹那断層が延びている方向を撮ったもので、手前にある平行に並んだ二枚の赤い板が断層の位置と方向を示しています。奥に見えるのが断層地下観察室です。中上の写真は西から撮ったもので、石が並んでできている溝(当時は水路)が断層を境にずれているのがわかります。赤い板が断層の位置を示しています。中下の写真は断層地下観察室を西から撮ったもので、断層を境に褐色の堆積層と白っぽい堆積層が接しているのがわかります。下の写真は、断層地下観察室の南側の壁を北東から撮ったものです。いずれの写真も同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の下の白丸や黒丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

津保川沿いの岩石 その21(関市上之保鳥屋市二又瀬、平岩の北東:砂岩)

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   前回(津保川沿いの岩石その20)紹介したように上之保鳥屋市平岩には花崗斑岩が分布しますが、その北には広く砂岩が分布します。平岩の北東と二又瀬橋の下の砂岩を紹介します。 県道85号で上之保鳥屋市平岩まで進み、平岩橋からさらに約1 . 1km北進します。すると、津保川に架かる橋を渡ります。その橋が二又橋で、橋を越えたところに駐車スペースがあります。橋を渡った右側(下流側)から川へ下りることができます。二又橋をくぐり、上流側(西側)へ10m弱進むと河床に砂岩が露出しています。また、もどることにはなりますが、平岩橋から北東へ400m弱進んだところの道路の右側(南東側)に川へ下りるように階段がついています。そこを下りると、砂岩が露出しているのがわかります。 写真は四種類ありますが、上の写真は二又瀬橋から西側を撮ったもので、中央右にあるのが砂岩です。中上の写真は川へ下りて北西から砂岩を撮ったもので、中下の写真は砂岩を接写したものです。写真の縦は3cmです。下の写真は、平岩橋から400m弱北東へ進んだところから川へ下り南から撮ったもので、砂岩が点在しています。中上と下の写真は、同じような写真が2枚並んでいますが、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、写真の下の白丸または黒丸を重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

津保川沿いの岩石 その20(関市上之保鳥屋市平岩:花崗斑岩)

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  「津保川沿いの岩石その2」「津保川沿いの岩石その16」で紹介したように、津保川沿いにも何ヶ所かで、花崗斑岩や石英斑岩などの貫入岩が露出しています。長良川本流や津保川の東側に広く分布する濃飛流紋岩や西側に分布する奥美濃酸性岩類に関連したマグマの一部が美濃帯堆積岩類に貫入し、冷え固まった岩石です。上之保鳥屋市平岩近辺にも花崗斑岩と思われる貫入岩が露出しています。 「津保川沿いの岩石その19」で紹介した行合口のバス停(出合橋の脇)から県道85号を北進します。約1 . 4kmで道が分岐します(馬渡橋のところ)が、鳥屋市の方向である右側の道へ進みます。500mほど進んだ右側に平岩橋があります。近くに車を止め、平岩橋を渡り、上流側から川に下ります。平岩橋のほぼ下の河床に花崗斑岩が露出しています。淡緑灰色をしていて、数mm~1cmほどの石英や斜長石、カリ長石が入っているのがわかります。 写真は四種類ありますが、上の写真は平岩橋からほぼ真下を撮ったもので、写真の上が北です。中上の写真は津保川左岸の花崗斑岩を南から撮ったもので、中下の写真は花崗斑岩を割ったものを接写しました。写真の縦は2 . 5 cm です。下の写真は下流側(南側)を撮ったもので、露出しているのは花崗斑岩です。中上と下の写真は、同じような写真が2枚並んでいますが、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、写真の下の白丸または黒丸を重ね合わせるようにすると立体的に見えます。

津保川沿いの岩石 その19(関市上之保行合口:チャート層)

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    美濃帯堆積岩類のチャート層は、砂や泥が流れ込まないような深海底に堆積したもので、径が1 mm より小さい放散虫などの生物の遺骸等が、1000年に数 mm といわれるほどゆっくり堆積して形成された地層です。上之保行合口には、チャート層が露出しています。 旧上之保中学校の東を県道85号で津保川の上流に向かって北進し、上之保行合口まで進みます。「津保川沿いの岩石その18」で紹介した川合小和田の橋から800mほど進んだところに支流を渡る橋(出合橋)と巡回バス行合口バス停があります。車を止めて、川へ下り、下流方向へ90mほど進んだ左岸と、さらに25mほど進んだ左岸にチャート層が露出しています。特に、より下流にあるチャート層は1つ1つの層が明確にわかります。暗青灰色の3cm~5cmほどのチャート層で、間にはさまっている泥岩層は暗灰色で層厚は1mm前後と薄いです。 写真は三種類ありますが、上の写真はより下流にあるチャート層を北から撮ったもので、真中の写真は近づいて同じく北から撮ったものです。写真の縦は13 cm です。下の写真は25mほど上流のチャート層を北東から撮ったものです。上と下の写真は、同じような写真が2枚並んでいますが、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、写真の下の●を重ね合わせるようにすると立体的に見えます。