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二枚の写真 その1 保存されている濃尾地震と北伊豆地震の横ずれ地震断層

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  この二枚の写真は、全く別の場所で撮ったものですが、両方とも断層による横ずれを保存したものです。上の写真は岐阜県本巣市根尾中の茶畑の左横ずれを、下の写真は静岡県函南町畑・乙越地区の丹那断層公園内の石積みの水路の左横ずれを撮ったものです。上の場所の横ずれは1891年(明治24年)10月28日に発生した濃尾地震、下の場所の横ずれは1930年(昭和5年)11月26日に発生した北伊豆地震によって出現した断層によるずれです。根尾中では約7m、丹那断層公園では約2.5mのずれがあり、それぞれの地震の際に一気にそれだけ動いたのです。 両方の地震とも活断層による地震です。濃尾地震を引き起こした主な活断層は根尾谷断層で、北伊豆地震を引き起こした活断層は丹那断層です。根尾谷断層は北東-南西に延び、丹那断層は北-南に延びています。日本列島は、地域によっては異なりますが、プレートの移動の関係で、東-西~南東-北西に常に圧縮を受けています。その圧縮によるひずみを解消するために、地下で岩石破壊が起こり、それが地震となります。平面的に圧縮されたもの(例えば板など)のひずみを解消するには、圧縮方向に対して斜めに切り、圧縮方向に動かせぱよいです。その役割を実際の地下では活断層が果たしています。下の図では、圧縮する方向に力が働いた場合、図のような断層(切れ目)があると、左横ずれで動くことを示しています。単純化してありますが、左が根尾谷断層に近く、右側が丹那断層に近いです。 以前市民対象に地質見学会を行った際、右横ずれと左横ずれの違いをどう説明してもわかってもらえず、断層をまたいだら右も左もないといって理解してもらえなかった経験があります。なかなか言葉だけではうまく説明できなかったのです。目の前に断層が左右に延びている場合、向こう側の地面が左に動くと左横ずれと言います。違う表現をすると、断層をまたいだ場合、断層の左側が手前に移動すると左横ずれと言います。右横ずれはその逆です。 上の2枚の写真のような横ずれを示す地震断層は、人間活動の中でなかなか保存されないものです。いつの間にか、その場所がずれ動いたことが忘れ去られてしまいがちです。震災遺構として残っていることを大切に感じ、地震による大きな地面のずれとして多くの人に実物を見てほしいと願います。 美濃地学 - 地学のおもしろさを、美濃から...

一枚の写真から その25 地球科学での時間的な長さについて~成人学校講座を終えて~

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上の写真は、 2004 年 6 月にごま書房から出版された「人間なしで始まった地球カレンダー」です。この冊子は、地球の誕生から現在までの約46億年間を1年間に縮めて、地球の誕生を1月1日とすると地球上で起こった事象や現象が何月何日にあたるかを示したカレンダー+本です。 中学校で理科を教えていた頃、地学の分野で時間的な長さをどう認識させるかということで、いろいろな試みを行いました。上記の冊子のように地球の歴史を1年の長さに置き換えて、地球上で起こったある出来事は何月何日にあたるかを示したり、時間をものの長さに置き換えて、46億年を46mとして模造紙をつなぎ合わせて巻物をつくりそこに出来事を書き込んだりしました。また、理科室などの廊下の掲示板を使って、2mを1億年として約6億年前から現在までの化石(主に示準化石)の写真を貼ったりもしました。 そのようなこともあって、地球カレンダーという冊子が出版されたときは、「やっと待ち望んだ本が出版されたか」と思った覚えがあります。そして、すぐに購入しました。中学校などで学ぶ三葉虫やアンモナイト、恐竜などの示準化石は、人類の歴史と比べるとはるか昔に生きていた生物の化石ですが、人類の歴史と比べてどの程度古いのか、地球の歴史のどこに位置付く出来事なのか、を示すことは重要なことです。また、地域にある地層や岩石は、地球の歴史や人類の歴史と比べて、どのくらい昔にできたものなのか、時間的な見方は大切なものです。 ブログ「 一枚の写真から その22 」にも書きましたが、令和8年度前期に関市の生涯学習課からの依頼で、「長良川の石ころ観察と岐阜県の大地」という題目で成人学校講座を行いました。ここでも、時間的な見方はきちんとおさえないといけないと感じました。受講生の皆さん(一般の方)は、川原に落ちている石が古いものであることはわかっていますが、いつできたものかはなかなかわかりません。すべての石が同じような時代にできたものであるという認識もあるくらいでした。ただし、受講生の皆さんがこの講座に参加しようとした動機には、 ・石ころは、いつ、どのようにして、できたのか知りたかったです。 ・庭の石を見ながら「どうやってできたのか、どこから来たか」と単純に思っていました。 という意見もあり、いつどのようにしてできたものかについては興味をもって...

展示物と立体視 その10(地層の剥ぎ取り展示物の立体写真)

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地層の剥ぎ取りは、固結していない地層をそのままの状態で持ち帰り、標本として残すための手法です。固結していない地層(第四紀層などの新しい地層)などの表面に合成樹脂(接着剤)を塗り、布などを貼り付けて薄く地層を剥ぎ取るのです。 剥ぎ取りは、露頭から実物を持ち帰ることができ、展示することができるという点は優れています。それほど広い範囲ではなく、合成樹脂がしみ込みやすい粒子からなる地層であれば、割と簡単に 剥ぎ取ることができます。基本的には平面上に現れる事象を剥ぎ取るため、立体視には向いていません。しかし、接着剤を使用するため、礫、砂、泥、粘土によって粘着の度合いが異なり、粒度の違いによって剥ぎ取り面にわずかな凸凹ができ、粒子の大きさの違いが凸凹の違いによってわかることもあります。 剥ぎ取り標本の展示物は、基本的には平面なので、左右2枚の写真を撮る間隔を広くしても2枚の写真に見た目大きな違いが表れないことが多いです。そのため、立体視をしても違和感なく、立体感をとらえられやすいです。左右から撮る写真の間隔を目の幅(約6cm)より広くすることによって、実際の凸凹を強調でき、少しの凸凹でも認識することができます。そのような点で 、わずかな凸凹を立体で認識できれば、平面である剥ぎ取り面を立体で見る意味が出てきます。また、剥ぎ取りに礫が入る場合は、立体視をすることによって、その礫がはっきりと立体でとらえられます。 下の4種類の写真は、いずれも活断層の剥ぎ取り標本を撮ったものです。一番上は産業技術総合研究所地質標本館に展示してある糸魚川 - 静岡構造線活断層系岡谷断層(長野県岡谷市)、2枚目は滋賀県立琵琶湖博物館に展示してある饗庭野断層(滋賀県高島市)、3枚目は福井県立恐竜博物館に展示してある木落断層(福井県大野市)、4枚目は豊田市博物館に展示してある猿投 - 境川断層(愛知県豊田市)です。 下の3種類の写真は、福井県年縞博物館に展示しある年稿を示す地層の標本です。一番上は古塩原湖(栃木県那須塩原市)の年稿で、下2枚(一枚は全体、もう一枚は部分)は死海(リサン湖、イスラエルで採取)の年稿です。 地層の表面をきれいにして剥ぎ取ったものだと思いますが、粒子の大きさや成分の違いによってわずかな凸凹があり、その違いを立体視で見ることができます。左と右の間隔を測って撮ったわけでは...

展示物と立体視 その9(地形模型の立体写真)

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博物館の展示の中で、模型を使って地形が立体で示されているものがあります。見ることができない海洋中の地形や断層による地形のずれ、山体の形、現在では改変されている旧地形などです。それらの地形模型は、実際の地形より縦方向を強調してつくられてある場合が多いようです。博物館でそのような地形模型を見る場合は立体として見られるのでよいですが、写真で表現する場合は立体視できる写真でないと、せっかくの立体が生かされません。そこで、地形模型の立体写真について書いてみます。 プレートテクトニクスのような仕組みを理解するには、実際の地形より縦を強調してある地形模型によってスムーズに進むと思います。下の4種類の写真は、プレートテクトニクスの仕組みを示す立体的な模型の一部分を撮ったものです。福井県立恐竜博物館に展示してあります。上の2種類は海嶺部、下の2種類は海溝部(日本海溝周辺)です。海嶺部を撮ったものは海嶺部の断裂の様子が、海溝部を撮ったものは海洋プレートの沈み込みの様子がわかります。火山島だった海山(第一鹿島海山)が地下に沈み込もうとしている様子も表現してあります。 同じような模型ですが、太平洋の海水を取り去った時の地形模型の一部を撮ったものが次の4種類の写真です。この模型は、地質標本館のものです。一番上は日本列島周辺、2番目はニュージーランド周辺、3番目は東太平洋海膨(太平洋プレートの海嶺)周辺、4番目はハワイ諸島(ホットスポットにより形成した火山島)周辺です。立体視をすることによって、海底面の起伏がよくわかります。 岐阜県中津川市坂下の断層(阿寺断層)が段丘面を変位させていることが1960年代に調査され、河岸段丘の形成と断層の活動の関係について研究され、解明されました。その地形と断層の関係を示す地形模型が岐阜県博物館に展示されています。 岐阜県中津川市坂下は、研究者によって日本で最初( 1964 年)に活断層の正確な運動像が確認された場所です。ここには、河岸段丘面を切る形で阿寺断層が通っています。木曽川沿いの坂下には大きく4段の段丘面が広がり、それらの段丘面に載る御岳火山噴出物等の堆積物によって、それぞれの段丘面が形成された時期が推定されました。それらの段丘面を北西 - 南東方向に横切って阿寺断層が通っていて、それによってすべての段丘面がずらされています。古い段丘面ほど断層運...

露頭と立体視 その15(カール地形と立体写真)

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カール(圏谷)は氷河がつくり出した地形で、山の斜面をスプーンでえぐったように、なめらかな半球状やお椀型に凹んだ地形となります。日本で「カール」と呼ばれる地形は、今からおよそ7万年前~1万年前の最終氷期に氷河が形成したもののようです。 「県外編 44 」で長野県駒ヶ岳の千畳敷カールについて紹介しました。カール地形は独特な曲線美をもった地形ですので、立体視との相性が良いと思います。そこで、今回は千畳敷カールを立体視の視点から紹介します。 カールは氷河の移動によって地面がスプーンでえぐったように削り取られた地形ですが、その滑らかさやカーブの様子はなかなか2次元の写真では伝わりません。実際の地形を見ると、三方の切り立った急な壁と底部のなめらかな緩斜面が組み合わさり、その巨大な光景が眼前に迫ってくるので、大自然の造形美が感じられます。それを2次元の写真で写しても全体の広がりや立体感が表現できないため、なかなか造形美が伝わらないと思います。全体の広がりはパノラマ写真などで、立体感は立体写真で表現できないかと思っています。 上から3枚の写真は、千畳敷ホテルの前で宝剣岳やカールに向けて撮った写真です。正しく測っているわけではないですが、宝剣岳の碑の近くから左側の写真を、バルコニーのところから右側の写真を撮りましたので、左と右の2枚の写真は20m以上離れたところから撮ったものになります。また、地形図で測るとホテル前から被写体となる宝剣岳やカール地形はそれぞれ直線距離で約 700m 、約 300m ~ 500m です。左右の幅が被写体までの距離の 1/15 ~ 1/35 なので、立体感をとらえられる距離としては適していると思います(「ブログ露頭と立体視 14 遠景の立体写真」を参照)。上から3枚目の写真は、カール地形のなだらかな部分を立体写真として望遠で撮ったもので、全体的にはなだらかであっても、谷部や細かい地形の凸凹がわかると思います。 氷河によって削られた地表の岩盤は、氷河によって運ばれ、氷河の末端や側面に積もり、堤防のような高まりを形成します。モレーンと呼びますが、千畳敷カールではホテルやロープウェイの駅がそのモレーンの上に建てられています。上から4枚目の写真は、カール地形の下部の剣ヶ池から、モレーンの上に建っているホテルを撮ったものです。高まりの上にホテルが建っ...

県外編 その44 長野県駒ヶ根市の千畳敷カール :長野県駒ヶ根市赤穂

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千畳敷カールは、長野県駒ヶ根市と宮田村などにまたがる木曽山脈(中央アルプス)の宝剣岳(標高 2931m )直下に広がる氷河地形です。 氷河とは、降り積もった雪が何年も溶けることなく圧縮し巨大な氷の塊となり、その結果自らゆっくりと流動するものを指します。降ったばかりの新雪は、雪と雪の間に空気が入っています。しかし、雪が降り積もることによって、上からの重さで空気が抜けていき、下方の雪は圧縮されて氷の塊になります。最終氷期といわれる約7万~1万年前には、高緯度地域には広く氷河が発達していました。氷河は、河川のはたらきと同様に、侵食・運搬・堆積の作用があるため、氷河独特の地形を残します。氷河は全体的には氷なので固体ですが、飴のように少しずつ変形しながらゆっくり進みます。特に、地表に接する面付近では氷河自体の重さによって圧力が高まることや地面の熱などのため、部分的に氷河が融けるのです。すると、地面との摩擦力が下がり、氷河自体が地表をすべるように移動します。 その時に、地表を削り(侵食し)、地表の土砂を氷河の中に取り込みながら傾斜地を移動し(運搬し)、氷河の末端部や側方部、底部などで土砂を堆積します。 氷河の侵食は川の侵食(浸食)とは違って、移動する氷河は底面の土砂や岩石を巻き込みながら、えぐり取るように地面を削るため、スプーンでえぐり取ったような地形を作り出します。それがカール(圏谷)です。また、削り取った土砂が堆積したものをモレーンと呼び、堤防や丘のような地形を示します。 駒ヶ岳ロープウェイ の 千畳敷駅 は、モレーンを改変したところに建設されています。 千畳敷カールの形成時期については、「 10 Be 露出年代法を用いた氷成堆積物の形成年代の測定 青木賢人 第四紀研究 39   2000 」の研究があります。この研究では、千畳敷カールとその北方1~2kmにある濃ヶ池カールのモレーンの堆積物に含まれる放射性ベリリウム( 10 Be )を分析し、モレーンの形成時期を推定しています。試料の多くが 1 万 7000 年~ 1 万 9000 年前の形成年代を示すことから、両方のカールが最終氷期の最も気温が下がったと考えられる時期に形成されたと結論付けています。放射性ベリリウム( 10 Be )を分析することによってモレーンの形成年代が推定できるのは、以下の理由です。...

県外編 その43 宮崎県宮崎市青島の鬼の洗濯板 :宮崎県宮崎市青島

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   青島の鬼の洗濯板は、昭和9年( 1934 年)に国の天然記念物に指定されています。正しくは、「青島の隆起海床と奇形波蝕痕」と名付けられています。 海岸が波の力によって削られ、平坦になった地形を海食台(波食台)といいます。海食台は一般的に海面下10~15 m の深さに形成されることが多いようですが、陸地の隆起や海水面の低下によって、海面上に出ているものがあり、それを隆起海床と呼びます。ここでは、その昔、洗濯する際に使用した洗濯板のような凸凹のある岩が広がっており、それを奇形波蝕痕と名付けたようです。青島周辺には、新第三紀の後期中新世~鮮新世(約 700 万年~ 300 万年前)に形成されたと考えられている宮崎層群が分布しています。この宮崎層群は、前弧海盆堆積体といって、海洋プレートが陸側のプレートに沈み込む海溝の陸側にできる浅い海(前弧海盆)に堆積した地層です。陸上から河川を通じて運ばれてきた砂や泥が堆積したもので、水の中で砂と泥が混じったものが地震などによって移動すると、粒の大きい砂が下に堆積し、その上に粒の小さな泥が堆積するといった砂層と泥層がセットになった堆積物をつくります。それが繰り返されることによって、砂と泥の縞状の堆積物(砂泥互層)が形成されるのです。砂泥互層が固結したものが砂岩泥岩互層ですが、砂岩層と泥岩層は浸食の度合いが異なります。砂岩層は固く浸食を受けにくく、泥岩層はもろく浸食を受けやすいため、砂岩層は凸状となり、泥岩層は凹状になり、ギザギザの洗濯板のように見えるのです。 写真は六種類あります。一番上の写真は、青島に架かる橋(弥生橋)を渡り、向かって右側の洗濯板(砂岩泥岩互層)をパノラマで撮ったものです。橋の手前から青島を撮ったのが2番目の写真です。3番目の写真は橋を渡って向かって左側の砂岩泥岩互層を、4番目と5番目の写真は右側の砂岩泥岩互層を撮ったものです(上の写真を撮った近くで撮りました)。3番目と5番目に写っているスケールの長さは1mです。 一番下の写真は砂岩泥岩互層に近づいて撮ったもので、上半分が砂岩層で、下半分が泥岩層です。この写真はわかりやすいですが、下半分の泥岩層は砂岩層と比べると削られており、凹んでいます。立体視で見ることができると、より実感としてわかると思います。また、左側にスケール(約15cm)があります...