長良川下流沿いの地形と設備 その7 安八町の長良川決壊場所(1976年9月12日) :安八郡安八町大森にある斎苑近辺

今から約50年前の1976年(昭和51年)9月12日、台風17号の接近に伴う集中豪雨で長良川の右岸堤防が安八町大森で決壊しました。現在では、決壊した堤防の跡は残っていませんが、破堤箇所や災害、復旧工事について書かれてある表示板が安八町大森にある斎苑の駐車場の南東に設置されています。北から長良川右岸堤防道路を南へ進み、東海道新幹線の下をくぐって堤防上に進むと、右手の堤防下に高圧線の鉄塔があります。鉄塔のすぐ下流側に堤防からの下り坂がありますが、その付近から斎苑までの80mほどの間で破堤したようです。

表示板によると、堤防が決壊し、濁流が安八町と墨俣町のほぼ全域を襲ったようです。現在では、表示板の東にある堤防(堤内側)は草に覆われた法面が直線的に延び、川側(堤外側)の法面の下半分はコンクリートに被覆されています。破堤後に破堤付近だけでなく、かなり広範囲(表示板によると6.9kmの区間)にわたり工事が行われました。

地質図において、×地点が長良川の破堤箇所です。地質からすると、周辺には第四紀の堆積層が分布し、a(白色)は現河床堆積物および後背湿地の堆積物、a1(灰色)は主に自然堤防の堆積物です。いずれも河川によって形成した堆積物です。現在では、河川は堤防に囲まれた中を流れていることが多いですが、本来河川は蛇行したり、網状になったりして、洪水のたびに流路を変えながら流れるものです。そのため、人工の堤防で囲まれていなかったときの河川は、平地において自然堤防や後背湿地などを形成していました。平地を流れる河川が大雨などで流量が増すと、多くの土砂が運搬されます。河川の水が流路からあふれる(河川が氾濫する)と、流速は急激に低下し、流路の外側に砂など粗い粒子を堆積します。氾濫を繰り返すと、流路に沿って周囲よりわずかに(数10cm~数m)高い砂などの堆積物からなる土地ができます。これを自然堤防と呼びます。一方、河川の氾濫で本来の流路からあふれ出した水と水中に浮遊している細かい粒子(泥)などは、自然堤防などに妨げられて河川へ戻ることができため、たまって低湿地が形成されます。これが後背湿地です。

写真が五種類ありますが、上の写真は長良川が決壊した場所にある表示板と現在の堤防を西からパノラマで撮ったもので、堤防の内側(堤内側)です。中上の写真は表示板を撮ったもので、真中の写真は上の写真の中央辺りを撮ったものです。中下と下の写真は、堤防の外側(堤外側)を撮ったもので、堤防道路から南西を望んで撮りました。中央右に写っている鉄塔は、前述した高圧線の鉄塔です。堤防の外側の下半分がコンクリートで被覆されているのがわかります。真中と下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。(地質図はHP「ジオランドぎふ」より 岐阜県博物館提供)







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