長良川下流沿いの地形と設備 その6 大垣市墨俣町一夜城跡付近の河川 :大垣市墨俣町墨俣の大垣市墨俣歴史資料館周辺

 大垣市墨俣町墨俣には、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が一夜にして築いたと伝えられている墨俣一夜城跡に、城郭天守の姿をした歴史資料館が建っています。その資料館の東に流れているのが、前々回「長良川下流沿いの地形と設備その4」で紹介した天王川の人工河川(江下げ)です。JR東海道線の長良川鉄橋より下流において、長良川右岸(西岸)の堤防道路の西側にほぼ並走して流れています。一夜城跡地付近では、長良川の西側に人工的に掘られた天王川(江下げ)と、中川・五六川・犀川が合流します。合流した後の江下げはさらに下流へ5.7kmほど設けられていて、安八町の新幹線鉄橋の下流で長良川に合流しています。そのようにして、中小河川の排水を高める工夫がなされています。歴史資料館の南を東西に流れる犀川のすぐ南側にある堤防は、長良川堤防の方向に対して直角に延びていて、桜堤と呼ばれています。墨俣輪中の北側を守っていた輪中堤が地形的に残っている場所です。1976年(昭和51年)9月の水害では、長良川堤防が安八町で決壊しましたが、その決壊まではこの桜堤の北側で広範囲に起こっていた氾濫を止め、輪中堤として機能したようです。

地質図において、×地点が墨俣歴史資料館です。墨俣歴史資料館(一夜城跡地)付近で、天王川と中川、五六川、犀川が合流しているのがわかります。地質からすると、周辺には第四紀の堆積層が分布していますが、a1(灰色)は主に自然堤防の堆積物、a(白色)は主に後背湿地の堆積物です。写真は五種類ありますが、上の写真は墨俣歴史資料館を中央付近にして、南からパノラマで撮ったものです。資料館の右手から天王川の江下げが、左手からは犀川が流れ込んでいます。中上の写真は、上の写真撮影場所から東に移動して天王川の江下げを中央付近にして同じく南から撮ったものです。真中の写真は、資料館の南を流れる犀川南岸に沿って延びる輪中堤「桜堤」を東からパノラマで撮ったものです。中下と下の写真は、資料館の中から長良川に並行して流れている犀川の江下げを南に向かって撮ったものです。中下の写真はパノラマで、下の写真は中下の写真の中央少し左を撮りました。中上と下の写真は同じような写真が二枚並んでいますが、それぞれの写真の白丸を、左の写真は左目で、右の写真は右目で見て、重ね合わせるようにすると立体的に見えます。(地質図はHP「ジオランドぎふ」より 岐阜県博物館提供)







コメント

このブログの人気の投稿

長良川鉄道沿いの地形・地質編 その45 「ジオ鉄」って何?

都市(名古屋)で見られる化石 その14 :アンモナイトの化石の断面とドーナツの断面

都市(名古屋)で見られる化石 その7 :名古屋駅近辺ミッドランドスクエア3階の壁の厚歯二枚貝、柱のサンゴ