一枚の写真から その1 根尾谷断層(水鳥の断層崖)と樽見鉄道

 今まで、岐阜県内の長良川とその支流沿いの地質と地形、および美濃地方の地質、名古屋の街化石、地質と立体写真などについて、掲載してきました。これからは、岐阜県の地質に関係する一枚の写真をもとにして、20回に渡ってつぶやいてみます。

上の写真は、岐阜県本巣市根尾水鳥、特別天然記念物である「水鳥の断層崖」を段丘面から南西より撮ったものです。中央左下から道路をまたいで左右の田畑に段がありますが、これが断層崖です。中央少し左下には小さくて見にくいですが、根尾谷断層の石碑と表示板があります。右端には根尾谷断層館が、中央右には樽見鉄道の列車が写っています。

1974年、日本鉄道建設公団による樽見への鉄道敷設工事中、特別天然記念物・根尾谷断層にかかったため、地震学会等の申し出により一度工事が中断され、ルートの変更後再開したという経緯があります。その経緯が、地震学者側からですが、「地質ニュース464号(19934月号)天然記念物「水鳥の断層崖」の開発 松田時彦」に載っています。一部抜粋します。

「…そんなある日、現地を訪ねた一人の地震学者が、その断層崖の一部が大規模な工事現場に変わり、どこからか運び込まれた多量の土石の山に埋められつつあるのをみて、吃驚した。断層崖を埋めるその工事は、断層崖を横切ってさらに上流へ延びる鉄道の敷設工事であった。多量の土砂は、線路が高さ5mの断層崖を横切るのに必要な盛り土の材料であったから、その盛り土の高さはすでに断層崖よりも高くなっていた。その知らせはすぐに専門家の間に広がり、19748月には、関連する3つの学会、地震学会、日本地質学会、日本地理学会がそろって、文化庁長官あてに断層崖の現状保存を訴える要望書を出した。このような学会の動きに反発する村民も少なくなかった。土地の人々にとっては、鉄道を通すことは明治時代からの宿願である。学者が云うほどに大切なものなら、今日まで、なぜそれを放置してきたのか。鉄道を退けての現状保存は土地に住む人のことを考えない学者の身勝手ではないか。学者一行が現場にきたら、むしろ旗で迎える、という噂さえあった。数年後、鉄道はその線路の位置を当初計画よりも数十m南西に迂回させて完成した。新しい路線は、断層崖のはずれであり、路床は盛り土ではなく高架橋にかえられた。断層崖を埋めた土砂は丁寧に除去されて、以前の地表は復元された。危惧した断層崖の損傷は最小限ですんだ。…」

Koto(1893)論文に掲載の根尾谷断層写真

この「水鳥の断層崖」は、1891年の濃尾地震で活動した根尾谷断層の一部で、地震後に撮られた断層崖が地震の教科書に載り、世界的にも有名になった場所です。地震発生から100年以上経った現在、周辺は変化したものの、濃尾地震で活動した地震断層そのものは残っているのです。これは、鉄道建設と天然記念物の両方を生かすことを考え、実施された結果でしょう。工事は当初計画から大幅に遅れたようですが、敷設の迂回と盛り土ではなく高架橋建設が行われ完成しました。活断層の保存と鉄道の両立が上の一枚の写真に表れています。このような経緯があって現在、100年以上前に起きた濃尾地震の際に形成された断層崖が残り、その近くを鉄道が通っているという景観が存在しているということを忘れてはならないでしょう。

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